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電通時代に学んだ「したたかな交渉術」31歳“ベンチャー・パン屋さん”が語る

ビジネス

大手から教育系のベンチャーに転身

――その後は教育系ベンチャーに進まれています。電通という大手企業からベンチャーに移られる勇気はスゴいです。

矢野:実はもともとそんなに長く勤めるつもりはなく、3~5年したら大学時代から興味のあったソーシャルや公共領域に移ろうとは思っていました。

 そんなとき、たまたまご縁で、岐阜県に有望な若者を多く輩出する「G-net」というNPOがあるのですが、このNPO出身の方が社長をしていた会社に転職しました。仕事内容は電通時代と全く異なり、さらに当時はまだあまり知られていないベンチャーだったので、「なんでそこに決めたの?」などとよく言われていましたね。

――その頃からすでに、現在の事業ともつながる地方創生を意識されていたということでしょうか?

矢野:きっかけとなったのは、電通に入社する直前に発生した東日本大震災でした。入社した最初の頃は社会全体が自粛モードで、群馬で仕事をする地元の友達は工場がストップして仕事も、給料も減ったという話を聞いていました。

 一方で僕は、仕事は大変だったんですけどもしっかりと給料をもらえるという立場ではあり、この違いにずっと違和感を抱いていました。何か新しいことをするなら教育をやりたいなという思いが当時あったので、それを実現させた形になります。

わずか1年で事業から撤退。次の仕事を考える

矢野健太

――そのベンチャー企業ではどのような仕事をされたのでしょうか?

矢野:出版社さんに常駐して、その出版社さんの教育事業を一緒に立ち上げるということをやっていました。具体的には理系の女性を増やす事業です。理系科目が好きな学生は楽しんで勉強していると思いますが、苦手な人に理系科目の面白さをどう伝えるかということに注力しました。

 どうしても数学や物理はなどの科目は、「生活に必要なの?」「何のためにやるの?」と思ってしまいがちなので、ここで挫折してしまう学生にどう必要性や面白さを伝えるかというところを工夫しました。ただ、この教育事業から結果的に撤退ということになり、丸1年で終わってしまいました。

――そうなんですね。でも、そこから起業する前にもう1社経験されているんですよね。

矢野:次の仕事を考えていたときに、地元の群馬県のNPOから声が掛かったんです。もともと働きたかったNPOでもあり、関心のある領域でしたので、2年弱ほど所属しました。そしてこの時に食べたパンに感動したのが、今の事業のきっかけでした。

 このNPOの業務内容では、地場や中小企業の2代目社長さんとベンチャー企業さんをつないだりしていました。そこで僕は、主にママさん支援以外のところを担当し、コンサルティングや案内などをやり、この時にさらに地方創生への関心が高まったのです。

<取材・文・撮影/重野真>

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