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バブル漫画『右ダン』作者に聞く、デビュー・創作・交遊録

コラム

作品と実生活に大きなギャップがあった

――連載を始めてから、どれくらいで人気に火がついたんでしょうか。

末松:1巻が出た後くらいから「『右ダン』効果で週刊モーニングに女性読者が凄く増えた」と編集長に言われました。実は、水商売や風俗の女の子たちから火がついたらしいんです。

 主人公のホストっぽいところがウケたみたいですね。当時、よく会員制の高級クラブに連れていってもらったんですが、そこの女の子たちがみんな『右ダン』を知ってるんですよ。「こういう男性が本当にいたらいいのに」と凄く言われましたね。

――そういうお店では、「漫画の作者も一条さんみたいな人だと思ってた」と言われませんでしたか?

末松:そうなんですよ(笑)。僕自身は一条みたいな生活は好きじゃなくて、普通のノーマルな家で暮らしていたので、取材がウチに来た時は、ドアを開けたとたんに「間違えました」と閉められた(笑)。作品と実生活のギャップは相当ありましたね。

 ちょうど同時期に、わたせせいぞうさんの『ハートカクテル』も人気があって、あの人は実際にカッコいいんですよね。だから皆さん、ああいうのを僕にもイメージされてたんだろうけど、実際に会ったら「誰だお前は」という(笑)。

――漫画の中では当時のトレンドスポットやブランドの固有名詞もかなり出てきますが、実際は夜遊びもしていなかったんですか?

末松:取材という形で、編集者に毎週いろんな場所に連れていかれましたね。有明にこんな店がオープンするとか、六本木にこんな面白い店があるとか。でも、そういうのを描いていると、途中からハウツー本みたいになってしまって。「こういうのを描きたくてやってるんじゃないんだよな」というジレンマがありましたね。

――当時は短大卒で「一般職」として働く女性が多く存在して、そういう人たちでも都心でいいマンションに独り暮らして、オシャレに夜遊び出来たりしていたんですよね。そういう女性が作中にもたくさん登場するので、末松先生も彼女たちと夜遊びしていたのかと思ってました。

末松:本当に今考えると、もうちょっとバブルを享受しておけばよかったな、って。僕より一般の人たちのほうが絶対バブルを謳歌していたはずです。週刊誌連載なので、常に締め切りに追われて、遊ぶ時間もお金を使う暇もなかった。当時はアマゾンとか楽天とかも無いから、通販で自由に買い物が出来るわけでもないし。

サザンからスカウトも?漫画家デビューの経緯

右曲がりのダンディー

『右曲がりのダンディー(3)』

――そもそも、どういった経緯で漫画家になられたんですか?

末松:福岡から東京の大学に来て、漫画研究会に所属したんです。ただ、大学が学生闘争の最後の頃で、漫画を描くより学生運動をする時間のほうが多かったですね。あと、大学の1つ上の先輩に、いまサザンオールスターズのパーカッションをやっている野沢“毛ガニ”秀行さんがいて、あの人とよく麻雀をやりましたね。彼はロック研究会だったけど、部室が同じ建物だったので。実は当時、野沢さんに「サザンに入らない?」と誘われたことがあるんですけど(笑)。

――マジですか!?

末松:僕、ドラムをちょっとやってたんですよ。野沢さんが「今度サザンオールスターズというバンドに入るんだ」というので、一緒にどうだ、と。サザンのデビュー前だから、僕はてっきりコミックバンドだと思って断ったんですよ。もちろん実力的にも無理だったし、野沢さんも冗談で誘ったんだと思うんですけど。もし実力があったら、今頃サザンのメンバーだったかもしれないです(笑)。

――就職活動はされなかったんですか?

末松:面接を受けて通ったところはあるんだけど、生活が合わないなと思ってすぐ辞めて、バイトをかけもちして30歳まで生活してました。

――一条まさととは真逆のフリーターだったんですか?『右ダン』9巻の巻末に「1巻はセブンイレブンでバイトをしながら描いた」と書いてありましたが、あれは冗談ではなく本当の話だったんですね。

末松:本当なんですよ。連載の最初の頃は『モーニングマグナム増刊』という隔月刊誌で、2か月に1回で8頁だから、それだけで生活できるわけもなく。週刊誌になったのはデビューして2年後くらい、巻数でいうと2巻目くらいからです。そもそも週刊誌の話は断ってたんですよ。なんの下積みもなかったので自信がなくて。

――漫画家として下積みがなく、30歳でいきなり連載デビューするって、かなり特殊なケースですよね。

末松:僕のうちは父親も兄弟も、兄弟の子供もすべて薬剤師という、薬剤師の家系なんで、僕だけ違うんです。父からは「30歳までに売れなかったら帰ってこい」と言われていて。薬局の店番くらいできるだろう、と。僕も30歳になって、諦めて帰るつもりだったんですよ。一応最後に思い出づくりのために、漫画家志望の知り合いが講談社に持ち込みに行くときに一緒についていって、「ついでに見てください」といって作品を見せたんです。

――その時はどんな作品を見せたんですか?

末松:『埼果て(さいはて)のサラリーマン』という作品で、『右ダン』のプロトタイプというか。カッコいいキザな男が女を口説くんだけど、埼玉の果てに住んでいて終電が早いので上手くいかない、という短編のコメディです。

――確かに『右ダン』にもそういう話がありますね! その作品が原点なんですね。

末松:たまたまそれを読んでくれた小川さんという編集者に「こういうのを待ってた!」とその場で言われて。思い出づくりのはずだったのが、それがきっかけでデビューしたんです。

――すごい運命ですね。友達についていかなければ九州に帰っていたんですね。

末松:そうなんです。デビューがもうそういう感じですから、今この年齢まで漫画家をやってるなんて、当時は想像もしてませんでした。当時の編集長からも「何回か載せたら気が済むだろう」といわれてたし(笑)。

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