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「ニッポンチャチャチャ」の発案者は誰? 誰もが知る応援歌の歴史

コラム

元祖サポーター・池原謙一郎とは?

 造園業を営んでいた池原謙一郎氏は、日本サッカーの黎明期だった1962年にはすでにサッカー日本代表を応援していたが、当時の日本ではスポーツ観戦といえばプロ野球と大相撲の時代で、サッカーはまだまだ陽のあたる存在ではなくスタンドもガラガラだったという。

 そんな中で池原氏は仲間らと「静かなスタンドに歓声を」の名の下に応援をしはじめた「元祖サポーター」と言われる人物だったのだ。

 そんな池原氏が1966年、イングランドの名門アーセナルを日本代表が迎え撃った試合で「ニッポンチャチャチャ」を世界で初めてコールしたのだという。

 それまで、高校野球の応援のようにブラスバンドに合わせた手拍子が、スポーツの会場で応援をする唯一の日本人のスタイルだったが、池原氏のサッカーらしい応援をという思いが「ニッポンチャチャチャ」を生み出したのだ。今ではあらゆるスポーツの会場に響く「ニッポンチャチャチャ」のはじまりはここにあった。

日本サッカー狂会とは

日本サッカー狂会

日本サッカー狂会(国書刊行会)

 池原氏がサッカーの応援に力を入れていた1962年は、戦後復興と高度経済成長が加速し、野球では金田正一が奪三振の世界記録をうちたて、大相撲では横綱大鵬が全盛期を迎えていた。

 また、最初の東京オリンピックを2年後に控え、日本中にスポーツ観戦の機運が高まっていた。サッカーは、国内の人気では大きな遅れをとっていたが、後にJリーグの初代チェアマンとなる川淵三郎が選手として頭角を表し始めていた頃である。そんな時代に池原氏は、サッカーを応援する仲間を集める活動を始めた。

 そして集まった仲間の一人である愛知県東光寺の住職で「サッカー和尚」として有名になっていた僧侶の鈴木良韶(りょうしょう)が、12月の日本代表戦で「私設応援団 日本サッカー狂会」と書かれた横断幕を掲げたところから、池原らは「日本サッカー狂会」を正式に名乗ることになった。

 1965年からは鈴木氏の編集による会報が発行されるようになり、多くのサッカーファンや著名人を巻き込み始めた。しかし90年代にはJリーグの発足などから、大きな環境の変化が起こり、会の継続が困難と判断され1995年に解散。それでも、元祖サポーターとしての根強い意志は連綿と受け継がれ、会報は今も発行が続いているのである。

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