神奈川の港町で、若い夫婦が営む小さな出版社ができるまで
――かよこさんのほうは、そのあたりいかがですか?
かよこ:単にアンチテーゼというと反骨精神だけでやっているとか、既存の枠組みを壊すことが目的化してるって捉えられがちじゃないですか。でも私たちが本当に言いたいことはそうじゃないんです。社会における自分が“私”だとすると、より私的なものを表しているのが“アタシ”です。
いつか誰かに言われた・本で知った・あの人がこんなことを言っていた……。そんな借りものの言葉が、知らぬうちに吸収されて“私”の言葉になってしまう。外部からいろいろな影響を受けてしまうのは、決して避けられない。人間というのはそういうものだと思います。
――アタシ社という社名にそんな思いを込めたんですね
かよこ:他人の教えや考えをパクパク食べて吸収して、何となく「私」の言葉として話すようになる。そうするうちに自分が何者なのかが見えなくなってしまう。だからこそ、ちっぽけで、それでいて唯一無二な“アタシ”の言葉を紡ぐことはできないかと己に問うことが必要なんじゃないかと。
自分が本当に美しいと思っていること、確かに見たこと、聞いたこと、触ったことなどを基盤にして、言葉や形に顕現していく。それが、“アタシ”社の想いです。ミネ君は『髪とアタシ』で、私は『たたみかた』で、それを実践してるんだと思います。
唯一無二のオリジナルの自分に立ち返る
――社会的な“私”と、私的な“アタシ”を引き剥がして、凝視して形にしていく行為だと。
シンゴ:人体実験的ですよね。『髪とアタシ』なんて、もう2年出してないですからね。それはテーマが見つからなかったり、日々の仕事に追われてたら、いつの間にか2年経ってました。
――あ、もうそんなに出していないんですね。
かよこ:私もミネ君もアタシ社から出す本とは別に、普段は企業から受注しているクライアントワークで生計の一部を立てています。そっちの仕事に忙殺されているときは、自分が何を考えているのか分からなくなるし、作れなくなります。
そもそも文芸って一人称的なアプローチだと思うんです。例えば、『髪とアタシ』は美容文藝誌と名乗っていますけど、本来美容もファッションも社会的なものですよね。それと“アタシ”を引きはがすとはどういうことかを問うことそのものが文芸なのだと思います。
社会的なものに手一杯になっているときは絶対作れません。まぁ、単純に仕事が忙しいと作れませんよ(笑)。
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アタシ社を続けていくために社会に揉まれる“私”と“アタシ”を往来する必要がある。「実感と内省が循環して本が編まれる」。取材を通じて筆者はそんなことを思いました。
→インタビュー中編<“消滅可能性都市”から発信する「ふたり出版社」夫婦の挑戦>に続く。
<取材・文/石井通之>