京都人の「お茶漬け=帰れ」は本当なのか?創業110年超の老舗お茶漬け店に聞く
なんでも気軽に調べられるようになった現代においても、嘘か本当かわからない言い伝えは存在する。「京都でお茶漬けを出されたら“帰れ”という意味」という話は、多くの人が耳にしたことがあるはず。
もし、それが本当なら京都のお茶漬けは美味しくある必要がない気もする。しかし、調べてみると深い歴史を持ったお茶漬け店は多く存在するようだ。そこで、この言い伝えの真偽と発祥、そして京都におけるお茶漬けの存在について、大正元年創業のお茶漬け店「丸太町十二段家」の店主である秋道賢司氏に聞いた。
「お茶漬け=帰れ」は本当?
まず知りたいのは、その言い伝えが本当かという点。もし、京都で「お茶漬けでもいかがですか?」と言われたら、どのように対応していいのかわからない。この点について、秋道氏によれば「結論から申し上げると、正確ではありません」とのことだ。
「家に来たお客さんが帰り仕度をはじめた頃に、家人が『ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?』と声をかけていたんです。これは、『何もお構いできませんが、軽いお食事でもどうですか?』という、いわば謙遜の意味が強いと思います」
実際に使っている京都人はいない
こうした風習は、いつから存在していたものなのか。
「確たる資料や文献はないようですが、言語学を専門にされていた関西外語大学の堀井令以知名誉教授(故人、2013年逝去)は、江戸から明治時代には日常的に使われていたと推測されていましたよ」
つまり、お茶とお菓子などで迎えた客人に「何もお構いできませんで」と、接待の不足を詫びるようなニュアンスだと捉えていいようだ。確かに現代でも、帰りそうになる客人に「ちょうど今、お菓子を切っているところだから、食べて行ったら?」「そう言わず、ビールもう1杯くらい飲んでいきなよ」などと引き止めた経験はあるのではないか。
秋道氏も改めて、「京都人のなかで、『言い伝えのような使い方をする人はいない』と否定しておきたいと思います」ときっぱり。