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草食系?戦国武将はなぜ「玄米と味噌中心の食事」で戦い続けられたのか

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関ヶ原の戦いで生米を食べるなと指示した家康

米

 戦国の時代、戦(いくさ)の勝敗を決したものは何だろう。戦力か戦略か、それとも時の運か。もちろん、それらは重要な要素である。しかし、ときには食べ物が勝敗を左右することもある。1600(慶長五)年9月14日、関ヶ原の戦い前夜は冷たい雨が降っていた。石田三成率いる西軍は岐阜県の大垣城に布陣する。家康率いる東軍は赤坂に陣を敷く。

 そして両軍は、翌日の決戦を前に関ヶ原に陣を移すのである。雨が降っているので、陣中で米を炊くことができない。腹を空かせた兵士たちは、生のまま米を食べようとしていた。そのとき、家康は全軍に「雨中であるが生米を食うな」「今よりただちに米を水に浸しておき、戌の刻(午後八時)になってよりそれを食うように」と指示をした

 生米は消化に悪く食べると腹を壊す。そのため、水に浸してやわらかくしてから食べるようにと言ったのだ。いかにも戦慣れした家康のひと言だ。

 一方、西軍の石田三成にとって本格的な合戦はこれがはじめて。兵士が生米を食べないよう指示する細やかな気配りはできなかった。しかも大垣城から関ヶ原に転陣するとき、東軍の監視下にある中山道を避けて雨の中を大きく迂回して移動しなければならなかった。このときの兵士の疲労が少なからず、戦いの結果に影響しただろうと後世指摘されている。

 関ヶ原の戦いが終わったとき石田三成は下痢をしていたという。もしかすると、生米を食べたことが致命的な結果を招いたのかもしれない。

どうして生米を食べてはいけないのか

 関ヶ原の戦いで、家康は生米を食べてはいけないと言った。なぜだろうか。ここではその理由を考えてみたい。米というのはイネの種子である。そして、米の栄養であるデンプンはイネの種子が発芽のために蓄えたエネルギー源である。イネの種子はエネルギー源をより安定的に蓄えておく必要がある。

 発芽のエネルギー源は実際にはブドウ糖だが、ブドウ糖が鎖状に長く連なったアミロースやアミロペクチンという物質が固く結合して、米のデンプンを作っている。

 イネの種子はこのデンプンを分解し、ブドウ糖にして発芽のエネルギーにする。人間も、米を食べたあとはデンプンを分解してブドウ糖にしなければならない。しかし、生米のままではデンプンの結合が固すぎて、容易に分解することができない。一方、デンプンに水を加えて加熱すると、アミロースやアミロペクチンの結合が崩れる。この現象をデンプンのα化と呼び、α化することによって消化されやすくなるのである。

 戦国時代、武士は米を蒸して食べた。また江戸時代以降は、米を炊いて食べた。いずれにせよ、米は加熱して食べる必要があるのである。

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