衝撃的な10代の日本悲観論「将来は悪くなる」と感じる若者の根底にある世界秩序の変化
日本の将来を皆さんはどう考えるだろうか。10代の若者のうち、日本が良くなると考える人は全体の15%しか居ないらしい。
日本の若者はどうしてこれほど、日本の国の未来に明るさを感じられないのだろうか。
その要因はもちろん、いろいろあるだろうが、不安定さを増す世界でよりどころを失いつつある日本の現在の環境も、遠因となっているのではないかと専門家は指摘する。
そこで今回は、国際安全保障、国際テロリズム、経済安全保障などを専門とする和田大樹さんに、世界秩序の変化から日本の若者の悲観論を考えてもらった(以下、和田大樹さんの寄稿)。
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「日本が良くなる」と答えた日本の若者は15%
公益財団法人日本財団が2月から3月にかけて行ったアンケート調査(日本・米国・英国・中国・韓国・インドの無作為に抽出した17~19歳の男女各1,000人が回答)によると「自分の国の将来についてどう思うか」との質問で「良くなる」と答えた人の割合が中国やインドで80%近くに達した。
一方、韓国では約40%、米国・英国では25%前後の割合となった。日本に至っては15%と驚異的に低い数字となっている。
日本の若者の回答を詳しく見ると「悪くなる」が29.6%、「変わらない」23.6%、「どうなるか分からない」が31.5%となり、将来を不安視する声が大半となった。
この背景には、今日の日本が置かれる現実がある。戦後の日本は、焼け野原から始まり、若者の祖父母たちの世代が国家の立て直しを急ピッチで進めた。日本は、高度経済成長を経験し、戦後40年から50年の間に世界有数の経済大国にまで上り詰めた。
そのころは、政治も経済も社会も全てが上昇気流に乗っていた。当時の日本人の将来に対する希望や期待が大きかったと考えられる。
しかし、経済バブルが崩壊して以降、大きな成長を日本は遂げていない。今日まで長く停滞状態にある。生まれてから今日まで若者たちは、日本の成長する姿を見ていない。
最近では円安が、追い討ちをかけている。若者たちの間で悲観的な見方が広がっても仕方ないはずだ。
安全保障の視点から考えても若者の悲観論には納得できる
また、筆者の専門分野である安全保障の視点から考えても、この数字には納得できる。冷戦後、世界にはグローバリゼーションのブームが巻き起こり、経済のグローバル化も進み、多国籍企業の成長が進んだ。
米国は超大国となった。この当時、米国に挑戦するような国家は地球に存在せず、米国主導の秩序が世界を覆った。
米国の軍事同盟国だった日本にとって、米国主導の世界は極めて安心できる環境だった。
1964年(昭和39年)1月の時事通信社の世論調査では、日本人の51.9%がアメリカを「好き」と答えている。アメリカに追従していればいい時代があったのだ。
しかし、2001年(平成13年)に、ニューヨークで起きたアメリカ同時多発テロ事件あたりから、米国主導の世界に変化が生じ始める。
2001年(平成13年)と言えば、大学の学部を卒業し、社会人として今年から働き始める「新卒者」の生まれた年ぐらいだ。
このころから、時事通信社の世論調査でも、米国に対する日本人の抱く好感に下降傾向が見られ始める。
2010年(平成22年)ごろには急進的なスピードで中国が力を付け、米国に挑戦する国家として台頭するようにもなった。
近年では、ロシアによるウクライナ侵攻が起きた。台湾有事も想定されている。米国の影響力は世界の中で相対的に弱まり続けている。
米国の同盟国である日本にとって、米国の影響力低下は安全保障的に良くない傾向だ。
しかも、その米国自身が近年、内向き化している。アメリカファーストを掲げるトランプ氏の人気の高さからも明らかだ。日本が置かれる安全保障環境は厳しさを増している。
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今月、ワシントンを岸田総理が訪問し、バイデン大統領から国賓級の待遇を受けた。バイデン大統領は日米同盟が最も重要だと指摘した。
しかし「米国は、世界の紛争に関与する力がそこまでない。中東やウクライナの問題もある。対中国で日本は、インド太平洋地域でしっかりやってほしい」という意味において「重要」との話だ。
安全保障を専門とする筆者にはとても重い会談だったと感じられる。
もちろん、日本人の10代の大多数が、厳しさを増す安全保障環境の現状を正確に把握しているとは限らない。
しかし、日本が置かれるこうした状況の変化を、この国に暮らしている以上、何らかのチャネルを通じて10代の若者たちも少なからず感じざるを得ないはずだ。
それらの影響が、日本の若者たちの悲観的な見方に拍車をかけているとも考えられよう。
[文/和田大樹]
[参考]