20歳のAdoが全米本格進出。“名門音楽レーベル”と契約だが勝機はあるのか
顔出しをしないコンセプトはどうなる?
プロモーションなどでメディア展開をする際に、これまでと同様に顔出しをしないのかも注目です。今のところ声だけでインタビューに応じたり、ライブもアニメーションに合わせて歌う形を取っています。日本ならばその背景を共有できているので説明は不要です。しかしアメリカ人がそのようなコンセプトをいきなり楽しめるのかどうか。やはり実際に出てきてほしいというパターンだって考えられる。
そこでヒントになりそうなのが、「Chandelier」の大ヒットで知られるオーストラリアのシンガーソングライター・Siaのケースです。極度の対人恐怖症で取材もメールのやり取りで済ませていた彼女ですが、『Saturday Night Live』などのバラエティ番組では目隠しをしてパフォーマンスを披露したのです。
もしもAdoが生身のライブを披露するとしたら、Siaのパターンに近いものになるのではないか。そうなれば日本でもサプライズとして報じられるでしょうから、ちょっと夢見てしまいますね。
最後に楽曲について。これは本当に難しい問題です。かつて宇多田ヒカルが全米進出した際、あのエルトン・ジョンから一目を置かれながらセールス的には振るわなかったという事実があるからです。上質な音楽であったとしても、必ずしも現地でそのまま受け入れられるわけではない。
アメリカ人の耳に合うJ-POPを作れるか
一方で当時とは違い追い風も吹いています。米英のチャートでJ-POPっぽい曲がちらほらヒットしているのです。たとえばハリー・スタイルズの「Late Night Talking」は近年の洋楽ヒットには珍しく哀愁を帯びたハーモニーで、歌とメロディを聴かせています。
リナ・サワヤマのメロディにも“節”(ふし)を彷彿とさせるしなやかさがある。「Blinding Lights」などのヒットで知られるThe Weekndがシティポップをサンプリングしたことも話題になりました。
そう考えると、変に小細工をするよりも“J-POP上等!”ぐらいの勢いで臨むのも面白いかもしれません。使うコードやAメロ、Bメロ、サビ構造のベタベタな邦楽を英語で歌うとか。ポジティブなギャップを見せつつ、音楽としての完成度も高めなければならない。“アメリカ人の耳に合うJ-POP”を作り直す作業はチャレンジングなものとなるでしょう。
こんな風に想像が膨らむのもスケールのデカいAdoだから。きっとアメリカでも爪痕を残してくれるはずです。
<TEXT/音楽批評 石黒隆之>