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「絶対に解散だと思った」天津・向清太朗が回顧する、“岩手移住”した相方からの告白

暮らし

味方してくれる言葉が背中を押してくれた

向清太朗

――そうして多くのジャンルの仕事をやるということは、ある時期から決めていたんですか?

向:僕の場合は、もともと大阪で「萌」と書いたジャージを着て漫才をしていたのですが、当時、大阪でキャラ漫才をする芸人なんていなかったので、周りからは「やめろ」「気持ち悪い」とめちゃくちゃ厳しく言われていて……まあ、今もそうやって言ってきた人たちを忘れてはいないですけど(笑)。

 逆に「いいやん」と言ってくれた方も覚えています。それが、大吉さん、ロザンの菅広文さん、麒麟の川島明さんで。味方してくれる方々のそうした言葉が背中を押してくれました。

 その後『M-1グランプリ』が終わって東京に出てきたときに、お笑いで戦いたい気持ちはありつつも、好きなものを伸ばそうと、アニメ、声優さんの仕事をさせていただくことになりました。初めて東京に来てやったアニメ・声優仕事が、2012年2月26日。今年で丸10年なんです。がむしゃらにやった結果、今が正解かどうか分かりませんが、地道に活動させていただいています。

<取材・文・撮影/浜瀬将樹>

【向 清太朗】
1980年生まれ。1999年2月、木村卓寛とともに「天津」を結成。現在、5つのラジオレギュラーを抱えている。自身が手掛けるニコニコチャンネルも好評で、様々なイベントのMCとしても活躍中。『推しの彼女の成り上がり~不遇なヒーラーをアイドルにして、異世界で武道館ライブを目指します~』(幸原ゆゆ・作画)では原作を担当

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