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【話題の社長が実践する人生の処世術】400億円の負債を乗り越えて米ナスダック上場

ビジネス

「9.11事件」が起業の道を選ぶ転機になった

そんな杉本氏が起業を志す転機になったのは、アメリカの「9.11事件」を経験したことだった。

当時、ロサンゼルスに滞在していた杉本氏は、「9.11事件」の影響で日本へ帰国する飛行機が飛ばず、ホテルの部屋に3日間こもって過ごしていた。

「よしんば、ハイジャックされた飛行機に乗っていた可能性もあると思うと、人生は儚いものだと感じたんです。ホテルの部屋でずっと考え事をしていくうちに、やりたいことがあれば迷わずに挑戦すべきだと思って、起業を決意しました」

そして、2001年にエスグラントコーポレーションを設立。

都心部を中心に投資用デザイナーズワンルームマンションの販売を手がけ、高い商品力と営業力で創業以来、右肩上がりの成長を続ける。

1年目に7億、2年目は24億、3年目は57億、そして4年目は前年比3倍以上の180億円の年商を叩き出し、不動産業界の新星として一躍脚光を浴びるようになった。

2005年には名古屋証券取引所に上場。

不動産業界では史上最短かつ最年少での上場を果たし、杉本氏は敏腕若手起業家として名を轟かせることに。

30歳で借金400億。怒涛のハードシングスは今でも忘れない

さらなる飛躍が期待されるや、そこから僅か3年3ヶ月後の2009年3月には400億円の負債を抱え、まさかの自己破産する事態に陥る。

世界的な金融危機となったリーマンショックの煽りは大きかったものの、「今振り返れば、生き残れる方策はいくつもあった。全て経営者としてのマネジメントやファイナンス知識が至らなかった結果だと思っている」と杉本氏は話す。

「自分の目で見定めた不動産の仕入れ物件は、どれもうまくいっていたのに対し、社員に任せていたものや儲ける為にやったプロジェクトは失敗していて、負債が膨れ上がる原因となっていました。当時は外部環境や社員のせいにしていたんですが、これもマネジメント不足だったなと。『社員は信用しても任せすぎない』『外部環境を徹底して学び続ける』というのを、この時の失敗から学びましたね」

ファイナンスについても「銀行から2〜3年の短期でローンを組んでいたのが、仇となってしまった」と続ける。

株式会社シーラテクノロジーズ 代表取締役会長 グループ執行役員CEOの杉本 宏之氏 インタビュー2

不動産事業はお金を調達できないと何も始まらないわけです。でも、だからといってすぐに融資を受けようと、銀行から短期ローンで資金を借り入れて運用していたのが間違いでした。現在の会社では、金利が少し高くても、長期ローンを組んでいただける地方銀行(地銀)を中心に融資先を選んでいます」

復活を尽力して頂いたのも地方銀行さんだったというのも大きいですが、少しでも恩返しが出来ればという想いとビジネスがマッチしています。

ファイナンスの大切さを痛感した杉本氏は、ファンドマネージャーに弟子入りし、“かばん持ち”を行っていた時期もあったそう。

こうして経営者としての素質を磨き直し、2010年にはSYホールディングス(現 シーラテクノロジーズ)を設立して再起をかける。

しかし、最初の1年くらいは借金返済に追われ、前向きな仕事がほとんどできずに苦労したという。

「20代で成功した起業家から自己破産したことで犯罪者のような扱われ方をしたり、いろんなステークホルダーからも罵声を浴びせられたりと、2社目の創業初期は本当に大変な時期だったのを今でも覚えています。ただ普通に仕事ができるのがこんなに幸せなのかと感じるほど、その当時は想像を絶するくらいのハードシングスでしたね。とにかく何をするのにも批判を受けましたから。でもそのおかげで、胆力というか、どんな逆境にも負けないメンタル力は身につきました

一度、自己破産している杉本氏は、銀行からの信頼を取り戻すことができず、何年も取り合ってもらえなかった。

それでも、融資担当者のもとへ足繁く通い、何回も交渉を重ねていくうちに熱意が伝わり、きらぼし銀行から最初の融資が決まると、そこから他の銀行も融資をしてくれるように。

かくして、再び事業を始める資金が集まりだしたのだ。

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