「高卒元プロ野球選手」の公認会計士が語る、折れかけた心を支えた“選手2人の存在”
引退したプロ野球選手が、第二の人生でもコーチや監督、解説者など、野球に直接携わる仕事に就けるケースはごくわずか。飲食業を始める人、保険会社などの営業職、建設現場や工場など肉体労働で生活費を稼ぐ人など、大半は野球以外の道に進む。
しかし、事業や会社勤めがうまくいかず、職を転々とする例も少なくない。なぜ元プロ野球選手は第二の人生でつまずいてしまうのか?
自身のつまずきと再起の経験から、講演会やメディアなどで「人生で越えられない壁はただひとつ。自分で作った壁だけなんです」と訴える元プロ野球選手がいる。プロ野球出身者で初の公認会計士になった元阪神タイガース投手の奥村武博さん(41歳・@m59camel)だ。
アスリートは自分の価値に気づいていない
ピシッとしたスーツの着こなし、穏やかなしゃべり口からは元プロ野球選手だったとは全く想像がつかない。どこからどう見ても“やり手のビジネスマン”にしか見えないが、奥村さんも引退後に飲食業界へ飛び込み、ネットカフェの深夜バイト、宅配や引っ越し作業員など肉体労働で生計を立てていた時期があった。
「ホテルの調理場でバイトしていた時は、メロンの種を掻き出すのと、シイタケの石づきをカットするのが仕事でした。種をくるっと掻き出すのは、カーブの投げ方に似ているんですよ。石づきをカットする時の指の使い方は、実はスライダーと一緒。
野球で学んだことは意外なところで生きるもんですね(笑)。人生に無駄な経験なんて、何ひとつありませんよ」
「なんとなくイメージしやすい」飲食業へ
このエピソードは講演などで笑いを誘う鉄板ネタだ。そして、奥村さんは真剣な顔つきで、こうも訴える。
「よく引退した選手は『今まで野球しかやってこなかったから……』と口にしますが、野球しかやってこなかったことは、野球以外のことができない証明ではありません。むしろ野球も含めスポーツの世界は、ビジネストレーニングの場になっていると思います。アスリートは自分の本当の価値に気づいていないんです」
奥村さんが自分たちの“本当の価値”に気づいたのは、引退後に公認会計士に合格するまでの長きにわたる暗黒時代のことだった。
岐阜県立土岐商業高校から1997年ドラフト会議で「阪神タイガース」に6位指名され、1998年入団。1999年には就任したばかりの故・野村克也監督から強化選手に指定され、翌年の春季キャンプでは1軍に帯同したが、ケガで離脱。その後も故障に苦しみ、憧れの甲子園球場で一度も登板することなく、2001年に戦力外通告を受けた。
その後、打撃投手に転向するも1年で解雇。トライアウトでも声は掛からず、生活のために「引退後に飲食業に転身する先輩は多い。なんとなくイメージしやすい」という安易な考えで友人のバーで働き始めた。
それでも専門学校に通って調理師免許を取得するなど真剣に取り組んだが、プロ時代とは比べ物にならないわずかな収入に、「この先どうなってしまうのか」と将来の不安は増すばかり。バーを辞め、職場をホテルの調理場に移しても悶々とした日々は続いた。