難病を克服した31歳・元巨人プロ野球選手が決めた「3度目の新天地」
現在、No border株式会社の代表を務める柴田章吾さん(31歳)は、15歳の時に厚生労働省が指定する難病のひとつ「ベーチェット病」を発症。「野球を続けていたら命の危険がある」と医師から告げられながらも、愛工大名電高校に在籍していた高校3年時には、長年の夢だった甲子園のマウンドを経験。
その後も、明治大学、育成選手として入団した読売ジャイアンツなどを経て、セカンドキャリアとして大手外資コンサル・アクセンチュアに入社。難病や幾多の試練を乗り越え、現在は経営者として活躍する柴田さんに、これまでの人生について話を聞きました。
将来有望な左腕を襲ったベーチェット病
小学校6年時には日本少年野球連盟(ボーイズリーグ)で全国制覇。その後、中学校ではジュニア世代の日本代表にも選ばれて「イケイケだった」という柴田さんに、病魔が襲いかかったのは15歳のときでした。
「お腹が痛いので病院に行った」という柴田さんが医師から告げられた病名は、ベーチェット病。野球に捧げるはずだった柴田さんの青春は、失明や生命を脅かされることもある難病によって、一転して闘病生活にすり替えられることになります。
「40度の高熱や激しい腹痛を抱えながら、約1か月入院しました。でも、まだこの時は、症状が収まったら完治すると思っていたんですよ」(柴田章吾さん、以下同)
少し症状が落ち着いた頃、「野球を続けて甲子園に行く」という夢を医師に告げた柴田さん。だが、その反応で現実を知ることになる。
「諦めたほうがいい」と言われた
「医師は少し困った表情を見せた後、『諦めたほうがいい』と言いました。この病気になった人が、スポーツで上を目指すことはほぼ皆無なので、まずは安静に生活してくださいとのことでした」
いきなり「選手生命の終わり」を告げられた柴田さん。当時は、自分の病状や置かれている状況を理解することが出来ない状況もあったそうだ。
「ベーチェット病の治療にはステロイドを飲まなくてはいけないんですね。5mgほど飲むだけでも身体に負担を及ぼす強い薬なのですが、この時の僕は80mgのステロイドを飲む必要がありました。当初は処方された薬を飲まないで野球を始め、病気を認めたくないと思った時期がありましたが、すぐに再発を起こしました。以後は病気と向き合いながら、野球をする道を探っていきました」