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「知らない大人に育てられた幼少期」を24歳テレビマンが描くワケ

暮らし

血のつながった家族との関係をどう考える?

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作品内で沈没ハウスでの暮らしを振り返る2人(C)おじゃりやれフィルム

――なるほど、具体的にどんな形で保育者の人たちは加納さんを育てていたんでしょうか

加納:母が僕にとって特別な人間であったことには変わりないのですが、僕の育て方の全権力を握っているという感じではなかったんです。

 当時の記録を読んでみると、本当に僕についてのミーティングが多くて。ルールを決めるのではなく、大人たちが話し合って僕にとって何がいいかを考えてくれていたんです。

 母からすれば共同で子供を育てるということにあたって、自分が第一の権力者にはなりたくはなかったんだと思います。今思うと、それは母なりの愛情だったのではないかと。ただ、朝食と夕食で教えられるマナーが違ったりと、他の子供だったら混乱するようなことがあったのも事実です。そういう環境の中でうまく適応する力を付けていきました。

――加納さんは血のつながった家族との関係をどのように考えているのでしょうか

加納:あえて普通という言い方をすれば、“普通の家族”というのは血のつながりにとても重きを置いているように思います。血のつながりがあるから仲が良くて、キズナがあって……。それは僕にとっての家族のイメージとはかなり違うのかな、と思います。

 もちろん僕にもどうしようもなく血がつながっている家族がいます。母である穂子さんのことは一人の人間として尊敬していますが、血のつながった父である山君のことは現在進行形でよくわかっていません。正直なところ父親とは思えない。じゃあ関係性が薄いかというとそうともいえない。そうしたあいまいな部分が非常に大事だと思っています。

卒業制作が、なぜ劇場作品になれたのか?

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映画では「沈没家族」を始める前に両親と暮らしていた家に訪れるシーンも(C)おじゃりやれフィルム

――話は少し変わりますが、もともと卒業制作として作られた沈没家族が劇場作品となった経緯というのは?

加納:沈没家族という取り組みも、穂子さんみたいな人がいて、そこに集まってくる人がいて、場所があって、奇跡的に成り立っていたのだと思っています。この映画もそんな奇跡みたいなことの連続で劇場作品になったんだと感じています。

 そもそも、当初はこんなふうに宣伝のために大人がついて、いろんなメディアに取材されて、グッズのクリアファイルができるなんて思ってもいませんでした。それが、2017年の「ぴあフィルムフェスティバル」で審査員特別賞をもらったことをきっかけに、いろいろな劇場から上映のオファーをもらうようになったんです。

――上映会はどんなところでやったんですか?

加納:「ぴあフィルムフェスティバル」で受賞してから1年間は旅芸人みたいに全国津々浦々いろんなところを回って自主上映会をしました。居酒屋やギャラリー、お寺で上映することもありました。野外上映も1度ありましたね。

 そうしているうちに、作品とつながりの深い東中野にある映画館「ポレポレ東中野」の方に声をかけていただいて、劇場版が作られることになりました。劇場版の上映を通じていろんな人と仲良くなれて、この映画自体が家族みたいになっているような思いです。

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