さんまも驚き。“元女性”の男芸人26歳に聞く半生は「恵まれすぎてるな」
「男を好きにならなきゃ」性的指向に迷い続けた時代
――高校に進学しても、その状況は変わらず?
前田:高校に入るとガラッと男は男、女は女でグループがまとまるじゃないですか。で、必然的に僕は女とばっかり話すことになるんですよ。「あの男子が好き」「彼ができた」「○○くん格好いい」みたいな言葉が飛び交ってるなかで「やっぱり男を好きにならなきゃいけないのかな」と改めて思って。
――もう一度考え直してみようと。
前田:でも気付いたら女の子を見てるし、どうしたものかと(笑)。そこで初めて真剣に自分の“性”について考え始めました。で、振り返ってみると、“自分は男の視点で女を好き”になっているから“同性愛”ではないな、と。じゃあ、「自分は何だ?」ってことでいろいろと調べ始めたんです。
親にも、学校にも内緒で入れた大学病院の予約
――具体的にはどんなところから調べていったんですか?
前田:手当たり次第なんですけど、なんかの拍子に電子辞書で「性同一性障害」って言葉が目に飛び込んできて。改めてネットで調べたら、思い当たる情報がいっぱい出て来て「どうもこれっぽい」と。当時、SNSの先駆けみたいなのがあってそこも覗いてみたら、自分と同じ境遇の人がゴロゴロいたんですよ。そこで、すごく安心したというか。
男になるには性別適合手術を受ければいい、男性ホルモン注射を打てばいい。「自分はこういう生き方でいいんだ」ってスイッチが入りましたね。
――すぐ具体的な行動には出たんですか?
前田:早かったですね。親には内緒で熊本大学病院に電話して、高校3年の文化祭の日に予約を入れました。当日、親と学校に嘘をついて、いざ診てもらったら「専門外だから、長崎大学病院か福岡大学病院行ってください」って言われて、その時は紹介状だけもらって帰りました。
少しして福岡大学病院に電話したんですけど、「半年以上予約取れません」と言われて。ガッカリしつつ長崎大学病院に連絡したら、「来月お取りできますよ」って返ってきて、希望が湧きました。長崎大学病院は性同一性障害に先進的な大学なんですけど、当時、一般的にはあんまり知られていなかったみたいです。
――では、そこで予約を入れて?
前田:はい。とはいうものの、長崎までどう行くんだっていう別の問題が生じて。電車はないから道だと高速に乗る必要があるし、海ならフェリーで行かなきゃならない。船着場から市街まで2時間はかかるし……これは、いよいよ親に言わなきゃいけないと。
カミングアウトは「メールか手紙」
――ご両親に性同一性障害について伝えるのはいろんな意味で難しいと思いますが。
前田:トランスジェンダーあるあるなんですけど、親と顔合わせたら何て言っていいか分からないからやっぱりメールか手紙なんですよね。で、何日も内容を考えてバイトの休憩中に携帯からメールを送ったんです。父ちゃんと母ちゃんの両方に。
――問題はアルバイトが終わった後ですよね。
前田:家の玄関の前で15分くらいしゃがみ込みましたね。普段、僕は肝が据わっているほうだと思ってたけど、やっぱり親の顔見るのが怖くて入れない。で、意を決して家に入ったら両親がどっちも平然を装ってるんですよ(笑)。
なんか微妙な空気が流れてて、いつもなら飯食ってる時、父ちゃんとちょっとした会話があるのに何も言わない。母ちゃんも黙って洗濯物を畳んでるって感じで。
――それは気まずい状況ですね。どのタイミングで切り出したんですか?
前田:僕が部屋に戻って少ししたら、母ちゃんが「読んだよ」ってやって来たんです。「昔からあんたは女の子っぽくなかったけん、もしかしたらそうやないかなと思いよったけど」って、ちょっと涙流しながら言われて。
「ちゃんと産んでやれんでごめんね」って続けるから、「そんなことないよ」って返しつつ、「自分の心の性別に合った生き方をしたい」って伝えたら、「わかった、あんたの好きなようにしなっすえ。じゃ長崎いつ行くとね?」って割とすんなり受け入れてくれて。