太田光のようなスタンスの選挙特番があってもいい。見直すべきは選挙報道の“謎ルール”
完璧な人間はいないからこそ国会を正しく開くべき
今回の衆院選で改めた感じた問題点を述べましたが、われわれ有権者に大切なのは、誰か一人の政治家が100%の正解を持っているという考えを捨てることだと思います。
どんな才人でも、国民国家という非常に大きな共同体全体の利益となる答えをポンと出すことは難しい。ゆえに、民主制では熟議を元にして、なるべく多くの人に対しての最適解になるように調整しつつ、それでも救いあげられなかった人たちに対してのケアを考え抜くわけです。
それは、非常に時間がかかって面倒くさいけれど、独裁に抵抗する本来の民主主義の在り方として、みんなの知恵を集めて物事を決めていく。それこそが民主制だと思っています。国会が正しく開かれることの重要性を何度も説くのはそのためなのです。
実はこの国民国家という前提に基づく民主制は国際的に見ても今、大変困難な状況を迎えています。ただ、日本はその段階よりもはるか手前にいるので、早いとこ国際的な議論に参加する資格を持つだけの社会的集合知を身につけていく必要があると思います。
選挙制度を含め、国民に対して開かれた議論の場を
最後に、今回野党は多くの小選挙区で候補を一本化し共闘を図りました。これは野党で票が分散して共倒れすることを防ぐ意図があります。しかし、結果は振るわなかった。
僕はそもそも日本は二大政党制に向いていないのではないかと思っています。小選挙区制は二大政党制を前提としながらも、日本はいまだにそれが叶っていませんし、しかも、二大政党制をとる国の近年の政治動向を見ると、うまくいく保証は少なくとも10年前に比べたらかなり少ないことがわかります。イギリスはブレグジット(欧州連合離脱)があったし、アメリカのトランプ以降の政治がそれです。
にもかかわらず、日本が思考停止で「二大政党制がいいんだ」という思い込みで、現在のまま進んだら、立憲民主党的な立場が二大政党制の対抗馬としては消滅し、結果として、自民党的なものVS日本維新の会的(旧希望の党的)なもの、という構図に落ち着くのではないかと思います。
“ネオ55年体制”のようなもので、そこに旧社会党的立ち位置の左派政党が体制の外側にいるイメージです。それが日本社会の選択なら仕方ないとして、二大政党制の肝である政権交代による自浄作用や官僚腐敗の防止がうまくいくかは疑問です。
選挙制度の在り方も含めて、何よりもまず国会が正常に運営され、国民の見えるところで議論されること。今、日本の政治に必要なのはこれに尽きると思います。
<文/ダースレイダー>