立憲民主党が議席減。辞任する枝野代表の「現場を変えた功績」を今こそ振り返る
耳が不自由な被災者への配慮を見せる
2011年3月11日に起きた東日本大震災では、被災地の東北地方だけではなく、福島第一原発事故によって日本全国が不安に包まれました。当時、枝野議員は官房長官を務めています。
月曜日から金曜日まで祝日を除き、官房長官は1日2回の定例記者会見を実施しています。記者会見は国民の知る権利に応える大事な仕事です。官房長官会見では、政府の方針や首相・閣僚などの動向を伝えます。こうした役割から、官房長官は政府のスポークスマンと呼ばれるのです。
東日本大震災や福島第一原発事故では、政府の一挙手一投足に注目が集まりました。少しでも情報を得たいと考え、テレビの前から離れなかった人も少なくありません。しかし、当時の会見はすべて口頭による答弁です。それは、官房長官の会見だけではなく、首相や閣僚も同様でした。
耳が不自由の被災者もいます。生放送の場合は字幕をつけることもできません。そうした人たちにも情報が行き届くように配慮したのが枝野官房長官でした。
首相会見で手話通訳者を帯同させた功績
枝野官房長官は、自身の会見に手話通訳者を帯同させました。これは聴覚障害者から「耳の不自由な国民にも災害情報がわかるようにしてほしい」という意見が寄せられて、枝野官房長官がすぐに手話通訳者を立ち合わせるようにしたのです。
手話通訳者が立ち会うという概念はここから広がり、今では首相会見でも手話通訳者が帯同することが当たり前になっています。手話通訳者を帯同させることで、少しでも多くの国民が情報を得ることが可能になりました。それは国民が政治参加できる機会を増やすことにもつながる情報公開でもあります。
積極的に情報公開に取り組んでも、それが票につながることはありません。特に、大震災や原発事故という未曾有の大災害は、政権にとって不都合な情報が多くあります。それでも手話通訳者を帯同させて、少しでも情報を伝えようとしたのです。