『ハウルの動く城』を解説。型破りで真っ当な“恋愛映画”になった6つの理由
4:ソフィーとハウルが結ばれるのは運命。それは指輪にも…
宮崎駿監督は、前述したようにハウルを「おしゃれと恋のゲームしかできないハウルは、目的とか、動機が持てない若者の典型ともいえる」と考えていましたが、その実(じつ)、ハウルがとても「一途」であること、ソフィーと結ばれることは「運命」であることも、実は劇中では示されているようにも思えます。
中盤で、ハウルは「無事に行って帰れるためのお守り」として指輪をソフィーにはめており、それは魔女サリマンの王室から動く城に戻るための道標として役立っていました。実は、序盤でハウルがソフィーを見つけて「やあ、ごめんごめん、探したよ」と肩を抱き寄せながら言った時、ソフィーにはめたのと同じ、ハウルがつけた指輪がキラッと光っているのです。
そして、終盤ではソフィーはタイムスリップして子どもの頃のハウルと出会い、「私きっと行くから! 未来で待ってて!」と伝え、現代のハウルにも「ごめんね、私グズだから。ハウルはずっと待っててくれたのに」と言っています。つまりは、ハウルは未来でソフィーに再会する日をずっと待ち望んでいた、「やあ、ごめんごめん、探したよ」と言うのは、兵士からソフィーを逃すための方便ではなく、本当に指輪の魔法の力で彼女をずっと探していたからこそのセリフなのかもしれないのです。
ハウルは「たくさんの女性の心臓(ハート)を取った(盗んだ)」という噂も立てられていましたが、実はソフィーというたった1人の女性をずっと追い求めていたからこそ、たくさんの女性にアプローチしていたのかもしれませんね。
5:血のつながらない家族の愛も描く
ソフィーとハウルの2人の恋愛を徹底して描きながらも、「血のつながらない家族の愛」も描いているということも、特筆しておかなければなりません。宮崎駿監督も「この作品は一種のホームドラマといえます。ソフィーがハウルに恋をする前に、ソフィーは主婦としての立場を確立しています。火の悪魔や弟子のマルクル、犬人間やかかし、それにハウルを結びつけ、家族にする鍵はソフィーの存在です」と語っていたりもするのですから。
ソフィーは、ハウルだけでなく、動く城に住むみんなことを愛します。「僕、ソフィーが好きだ! ここにいて!」と言うマルクルに「私もよマルクル。大丈夫、行かない」とお互いに抱きながら答え、カルシファー(ハウルの心臓)をつかんで離さない荒地の魔女でさえも「お願い、おばあちゃん」と肩と頭を抱き寄せ「仕方ないね、大事にするんだよ」と言わせています。
そして、ハウルは言うまでもなく、自分たちを助けてくれたかかしのカブ(隣の国の王子)にも、自由になっても戻ってくれたカルシファーにもキスをします。魔女サリマンの使いであった犬のヒンでさえも受け入れています。ソフィーは、家族になるみんなを愛し、また家族のみんなもソフィーを愛しているのです。
そんなソフィーの(おそらく)血のつながった実の母親は、自身がお金持ちの男と再婚すること、ソフィーに掃除婦なんてしなくていいと告げるのはまだしも、魔女サリマンの策略により「覗き虫」を忍び込ませようとしていた、ひどい人間でもありました。「血のつながった家族ではなく、本当に自分が愛することができる家族のいる場所が大切になることもあるかもしれませんよ」という提言も、物語には込められているのでしょう。
この「敵だったはずの荒地の魔女も含めて一緒にみんなで暮らす」というホームドラマ的な結末は、「敵をやっつけて終わり」な典型的な勧善懲悪の物語とは全く異なるものです。
宮崎駿監督は本作について「歳を取る、人を好きになるという難しいテーマにいどまざるを得なくなり、もっともっと深いところをやろうとしたら、通常のエンターテインメントの枠組みに収まらなくなり、非常にややこしい作品になった」と反省(?)もしているのですが、だからこそ『ハウルの動く城』は、このハッピーエンドも含めて型破りな、今までにない独創的な作品になったとも言えます。