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「#ES公開中」仕掛け人の怒り。今の就活は投資ではなく“投棄”

学び

ESを公開することに反対の声もあった

寺口
寺口:まさにそうなんですよ。これらの課題を解決しようと考えた時に、ではキャリア教育を強化すべきだという声が決まって出ます。つまり「生産」の経験をしたことがない学生に対して、時代に合ったキャリア観の醸成をしようと。

 現実的に、それにはかなりの時間がかかります。社会と教室には時差があるうえ、教室の壁は分厚い。教育システムを急には変えられないことは現状を見ると自明ですよね。また、時代に合ったキャリア観を果たして教育現場で「教え」られるのかというのは疑問でしかない。

 じゃあ、まず学生の意思決定の精度を上げるためにマーケットを透明化しましょうよと、そのきっかけとしての具体的なアクションが、今回の「#ES公開中」のキャンペーンです。今の採用マーケットにおいて採用側はESに限らず、隠さなくて良い情報まで隠し過ぎているので。

市川と内藤
市川と内藤:なるほど。まずは各社のESを公開することで、就活生が正しい情報にアクセスできる状態を作り、マーケットの透明化をしよう考えたのですね。

 ただ、正直あそこまでESを公開することに関しては反対の意見もあったのではないのですか?

寺口
寺口:実は現状は、賛同の声のほうが遥かに多いんです。反対の意見ももちろん一部ありました。ただ、個がメディア化して嘘がバレる時代に、透明化トレンドに抗うのは非合理的だと思いますね。透明化は個人のためだけではなく、法人のためにもなると思っていて。

 情報を隠そうとしていても、結局いつかはバレる。加えて、バレるまでの猶予は短期化し、バレた事実は負債となりシェアされて掛け算的に膨らむ。嘘バレによって、ブランドは加速度的に毀損するようになりました。入社後にバレていたものが、入社前にバレるようになり始めただけ。

 むしろ、入社後にバレて企業へのマイナスイメージが伝播することを考えると、まずは自社のリアルを伝えて、就活にかける時間を投資してもらう。それを踏まえて意思決定をしてもらうほうが期待値のギャップは低減し長い目で見ると組織は強くなる。今後はマーケットの透明化が進み、採用力が組織の地力に収束していくと思っています。

今の就活は夏休みの宿題をやった小学生を全国表彰?

ワンキャリア

寺口さん(左)に話を聞く、市川と内藤の2人

市川と内藤
市川と内藤:就活マーケットが不透明ということは、学生だけでなく企業にとってもマイナスになるのですね。今はさまざまな口コミサイトもありますし、隠していてもいずれバレる時代ですよね。でもESを公開してくれるって、本当に思い切られましたね。

寺口
寺口:「#ES公開中」については、「思い切ったな」とか「大きなことをやった」と嬉しい言葉をいただきますが、正直、僕は透明化において本来やるべきことのうち1ミリほどしかやっていないと思ってます。

 一例ですが、人が何よりも大事と謳う企業は多いですよね。言行一致はしてないと思っていて、現に、投資家にお金を投資してもらうために詳細なIR情報を公開している一方で、人に人生を投資してもらうための採用活動においては、エントリーシートを公開するだけでこれだけ騒がれている。

 例えば先日、サントリーさんがESを全部見ていることが「Yahoo!」のトップニュースに上がりました。サントリーさんの開示は素晴らしいアクションだと思います。ただ、冷静に考えると、程度としては、夏休みの宿題を全部やった小学生が全国表彰されてるのに近い。それだけ、これまでの就活マーケットが不透明であったのだと改めて感じました。

OB訪問「まず会いに行け」の精神は横暴!?

市川と内藤
市川と内藤:SNSを見ていても感じますが、寺口さんをはじめ、マーケットの透明化に賛同した多くの人が今動き出している。これから徐々に就活マーケットが変わってきそうですよね。とはいえ、今情報が不透明な中で就活をしなくては行けない学生さんは、どうやって良質な情報を取りに行けば良いんですかね。結局、人に会いに行って話を聞くことになるのかなと思うのですが……。

寺口
寺口:僕は、よく就活生が言われる「まず会いに行け」は横暴だと思ってます。アドバイスっていう言葉も正直苦手です。そもそも、大前提持っておいた方が良いのは、世の中に溢れている2次情報に触れる時に、ファクトと、解釈の混ざったものは仕分けて考えたほうが良いということ。自身の中で二次情報と一次情報が混在していることに気づいてない人は多いですよね。

 例えば、「あの人/企業は価値観があわない」と言った人に、「会ったことありますか」と聞くと、「○○さんが言ってたから」みたいな。やばいなと。その観点で見ると、知らない誰かの背景不明のアドバイスってバイアス満点で、自身の観点が不十分な状態でインストールするのは悪手だと思います。結果、解釈がゴチャって迷走するし。

 学生にアドバイスを求められると大抵の社会人は良くも悪くも「いいことを言おう」と意気込みます。例えば、「自分はこの経験があったから今がある、だからお前もこの失敗はしたほうが良い」とか……人によって成長に寄与する修羅場の種類は違うはずなんですけどね。つまり、事実と仮説の準備なしにアドバイスを聞きに行くのは、他人の解釈をノールックでインストールすることになるんで、ほぼギャンブルに近い。

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