若者の恋愛下手は今に始まったことじゃない! 民俗学者がズバリ解説
夜這いは具体的にどういうものだった?
――「気があるなら行っちゃえよ!」というわけですね。お互いに合意を得ているとはいえ、夜這いという響きはなんとも怪しいというか……。具体的にはどういうものだったのでしょう?
新谷先生:男性が女性の家に訪れるのですが、夜這いと言っても無理矢理ではなく、女性の同意に基づいたものでした。地域によって異なりますが、OKサインがあったようです。例えば庭先に小石を3つ並べたらOK、2つでは駄目とか。
――それにしても、告白を他人にしてもらい、肉体関係を持つのも周りの助けを借りてって、随分と人任せな印象……。
新谷先生:実は日本は、いつの時代でも恋愛下手でした。上手くなる機会がなかった、と言っていいかもしれません。
村社会では、恋愛は個人のものではありませんでした。個人同士での告白はほぼなかったでしょう。そして、普段から日常生活を共有しているので、誰が働き者なのか、怠け者なのかも分かっています。だから恋の駆け引きをするまでもなかったのです。
昔の恋愛モデルは「男女の愛より夫婦の愛」
新谷先生:そして、過去の結婚では“夫婦となってからどれだけ愛を育むか”が重要でした。一方、現在の結婚観は、“好きの貯金”ができたら結婚成立、のように見えますね。
昔は、好き同士ならまず肉体関係を持ち、相性が合ったら結婚。夫婦になってから“愛の積立貯金”をするんです。男女の愛より夫婦の愛、だったのです。
――では、いつから現代のような恋愛観ができたのでしょう。
新谷先生:それは、太平洋戦争以降。でもまずその前に、明治の西洋化の中で、性の取り締まりがありました。婚前の性交渉をしてはいけない、というキリスト教的な価値観が日本に入ってきたのです。
さらに、太平洋戦争終戦まで続く家父長制とそれに沿っていた民法の規定により、結婚相手は父親に勝手に決められていました。それが、上流階級から浸透していったのです。