銃撃の責任は「アベ批判派の悪口」に?権力者へのスタンスを考える
飛び交った“粗い言説”や“憶測”
安倍さんが亡くなったという報が出る前、つまり午後5時前。容体がまだ不確かな状態です。犯人は逮捕され、徐々にその名前や、元自衛官などの情報が出てきますが、本人から動機が語られる前から憶測に基づいた発言がネット上でかなり見られるようになります。
「普段、安倍さんに対して批判的な言説をしていた人たちによってこのような凶行がなされた」とか、あるいはそうした人が容体を心配する発言をすると「手のひら返しだ」というような発言が出るようにもなります。
権力者への批判的言説を“悪口”と断じて単純化する言説も見られました。衝撃的な事件に動揺したかのごとき粗い言説が飛び交っていたと思います。
この時点で僕は『ヒルカラナンデス』の配信の間にも、NHKの報道で出てくるもの以上のことは言わないようにしていました。わからないからです。このわからないという感覚はとても大事です。ただ、この段階でさまざまな言説が飛び交っていたことには留意すべきだと思います。
「選挙演説中の銃撃」をどう受け止めるか
選挙演説中に銃撃されるという事態。これが何を意味するのか? に関しても、動機が判明する前からさまざまな言説が飛び交いました。選挙演説中の政治家が銃撃される事態は「暴力による民主主義への挑戦」「暴力による言論封殺」という受け止め方がなされて当然だと思います。
そして、パブリックなフィギュアであり、現在の政権与党・自民党の政治家である安倍さんが銃撃されたということによって起こる、二次的な言論封殺、つまり「心肺停止、あるいは亡くなったのだから何も言うな」という空気が醸成されることも当然想定されたと思います。
そう言う意味でも、誰がどのタイミングで何を言うのかは非常に本質的だと思います。選挙期間が残り2日のタイミングで、街頭演説の場における言論空間がどうなっていくのか。これもすごく気になる点でした。