五輪を技術で支えた日本のスゴい会社たち。利益率驚きの20%超えのところも
今日まで生き残ることができた理由
1960年代は、日本にも猟銃を販売するブランドが数多く存在しました。この時期、国内ではガンブームが起こり、20万人に満たないハンターが3倍に膨らんだと言われています。
各社は国内向けの銃器に焦点を当てていましたが、ミロクの目は世界に向いていました。世界進出には、有名ブランドと提携する他なかったのです。
初代社長・弥勒武吉(みろくぶきち)氏は鍛冶技術の伝統の中で腕を磨いてきました。ミロクが受け継いできたその技術力を、ブローニングが認めたのです。
1979年に国内のガンブームは急速に衰え、猟銃メーカーも次々と消えて行きました。ブローニングとの提携でアメリカの圧倒的シェアが獲得できたミロクは、今日まで生き残ることができたのです。
<TEXT/中小企業コンサルタント フジモトヨシミチ>