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カトパンも選んだ2代目社長。有名企業の社長8名に見る、優秀なorダメな2代目の違い

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サントリー:親子で日本の洋酒文化を形作る

 サントリーの前身は初代社長、鳥井信治郎氏が始めた酒造事業が始まりです。信治郎氏は日本人に合う洋酒の開発に努め、国内シェア6割にまで昇りつめた「赤玉ポートワイン」を開発しました。

 2代目の佐治(鳥井)敬三氏は1945年に父の会社に入社。同社が1946年に食品化学研究所を設立した際、大阪帝国大学で有機化学を専攻した敬三氏は所長に任命されます。

 1961年に社長に就任してからは欧州のビール研究所を巡り、日本人に合いそうなデンマークのビールを導入することを決めます。その後、1963年に「サントリービール」が発売されました。

 日本酒・焼酎がメインだった日本で、洋酒文化を醸成したのは信治郎氏と敬三氏の親子と言っても過言ではないでしょう。1970~1980年代には清涼飲料にも進出し、現在でも日本を代表する飲料メーカーとして君臨しています。

大塚家具:日本中が注目した「親子喧嘩」

大塚家具

大塚家具© Rodrigo Reyes

 大塚家具に行ったことのない人でも、「例の騒動」のことは知っていると思います。大塚家具の前身は1969年に大塚勝久氏が始めた家具店であり、高級路線を走りました。1993年からは会員制を導入し、より一般庶民にはハードルの高い店舗となります。ただし、高品質の家具、接客は確かなもので富裕層の需要をつかみ続けました。

 しかし、2009年に娘の大塚久美子氏が社長に就任した後、世間を巻き込んだ「親子喧嘩」が始まります。IKEAやニトリのようなカジュアル路線を目指す久美子氏に対し、父の勝久氏が反対して解任。大モメの末、久美子氏が社長に復帰します。

 16年から久美子氏の地位が安定するとよりカジュアル路線を進んでいくことになりますが、旧来の取引先が離れるなど問題が重なり、最終的にはヤマダ電機の傘下に入りました。

 そもそもニトリがカジュアル路線を走れるのも、東南アジアに工場を設立し独自の物流網を築いているためです。それまで高級路線だった大塚家具が急に路線を転換できるわけがありません。

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