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「斎藤佑樹と泣きながら握手した」元ソニー31歳が語る、起業までの半生

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斎藤佑樹の部屋で泣きながら握手

――早稲田大学に進学してからは野球部に所属します。

船橋:そもそも高校で野球をやめるつもりで、大学では続けるつもりはありませんでした。当時の早実メンバーで、高校1年の頃から「大学でも野球を続ける」と公言していたのは斎藤以外に、後藤(貴司)、白川(英聖)、佐藤(泰)だけだったと思います。

 それが、2006年の日米親善野球大会に、僕も日本代表の一人として選出され、斎藤や田中(将大)らと一緒にプレーするうちに「プロでも通用できるか試してみたい」という気持ちが湧き上がってきたんです。

――なるほど。しかし大学2年になるタイミングで辞めることを決めました。

船橋:よく周囲には「上下関係が辛かったのか」「練習がキツかったのか」と聞かれるんですが、理由は単純でプロの壁を痛感したから。もともと、プロになるために大学でも野球を続けたので、それが無理だとわかった時点で、やめるのは必然でした。

 とくにドラフト候補の選手と対戦すると、もう投げている球がまったくの別物なんです。ぜんぜん歯が立たなくて、プロになったらこんな球を当たり前のように打たなくてないけないのかと思いました。

 それで僕、実は1年の夏頃にも、野球をやめると決めて、斎藤にそのことを伝えたんです。すると、その日の晩にめちゃめちゃ長いメールで「日本一をまた神宮で獲ろう」「だからそれまでやめないでくれ」と連絡をもらったんです。

――青春ですね。

船橋:それでもう一度続けることにしたんです。ただ、2年生になるとき「やっぱりこれは無理だ」と思って、今度は斎藤の寮の部屋で話し合ったんです。お互いにこれまでの様々な思いがこみ上げて、僕はもう鼻すすりながら、自分の気持ちを伝えました。

 そしたら、斎藤は「船橋がもう一度やめると決めたのなら、俺はもう止めるつもりはない」と言ってくれて、最後は握手をして別れました。

ソニーに入社「新人にはまだ早い」

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――甲子園優勝の経歴があれば、就活は楽勝だったのでは?

船橋:そんなことなかったです。甲子園優勝はあくまで過去の栄光だったので、そこに浸っていると、人気企業の内定はもらえませんね。僕は小2冬から中2春までの5年半父の仕事の関係でドイツに住んでいたため「グローバル企業」という漠然とした軸で、商社、金融、メーカー、ITなどを受けました。そのなかで、たまたまご縁があったのがソニーでした。

――ソニーではどのようなことをしていたんですか?

船橋:まずは国内営業を担当して、1年後に別の部署に行くことになり、個人的には人事に興味があったのですが、「新人にはまだ早い」と言われ、海外マーケティングの部署に異動することになりました。ただ、その頃から人事の仕事をしたいと強く思うようになり、それと同時に、「今の仕事、環境は他人の敷いたレールの上を歩いている」「このままの仕事を続けていて本当にいいのだろうか」という感覚を持つようになったんです。

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