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偏差値30台、退学寸前だった僕がケンブリッジ大学で学んだこと

学び

町並みを見ていたらケンブリッジに憧れた

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――大学へ進学後、いつ頃から海外の大学院へ進もうと思ったのですか?

塚本:大学3年生で、周りが就職活動を始めていた時期でした。僕自身は「なぜ就活をしなければいけないのか」と思っていて、漠然としながらも「誰も自分を知らない場所へ飛び込み、チャレンジをしたい」と将来を思い描いていたんです。

 そこから逆算して“誰も自分を知らない場所”ならばと、真っ先に思いついたのが海外でした。そこで「自分自身の存在を問いたい」と考えたんです。ただ、初めから「ケンブリッジ大学大学院へ行くぞ」と決めたわけでありません。当時は英語も得意ではなかったですし。

――大学受験と同じく“新たな挑戦”となったのですね。そこからなぜ、ケンブリッジ大学大学院に行き着いたのですか?

塚本:卒業後にまず、海外の語学学校へ進もうと思っていたんですよ。そこでたまたま勧められた土地がケンブリッジで、きっかけとしては本当に偶然でした。ケンブリッジという都市は大学を中心に作られた町並みで、語学学校に通っていた当時、学生やキャンパスを毎日のように目にしていたら次第に憧れるようになったんです。

 だから、確固たる意思があったわけではなく、ある日ふと「ここを目標にしよう」と思い立ったというか。そこから大学院の試験を受けるための準備も始めたのですが、大学受験での小さな“成功体験”を積み重ねていたので、分からないことがあっても「何も知らない自分に戻ればいい」と気楽に取り組めましたね。

学費と生活費を稼ぐために現地で起業

――ケンブリッジ大学大学院へ合格後は、どのように過ごしていたのでしょうか?

塚本:大学院に通いながら、現在の「ジーエルアカデミア」に通じるビジネスを現地で立ち上げていました。当時は、1ポンド=約250円ほどのレートだった時代でしたが、大学卒業後にすぐケンブリッジへ渡ったので、後ろ盾が何もなく生活が苦しかったんですよ。そこで、学費や生活費を稼ぐためにと、やってみたのがきっかけでしたね。

 アルバイトも思い浮かべていましたが、やはり時間が拘束されると勉強がおろそかになってしまうという考えがあったんです。それならばと、自分で「ホームページビルダー」を慣れないながらも使ってサイトを作り、オンラインでの英語教育事業を始めました。しばらくして日本の教育関係の会社から「一緒に組みませんか」と声をかけられ、時間や作業量を工夫しながら、勉強と稼ぐことの両立を図るようになりました。

――当時を振り返ってみて、現地での経験から何を学びましたか?

塚本:国が違えば常識も変わるもので、例えばイギリスでは、女性が正社員で男性がパートをしながら家庭を支えるという夫婦が当たり前のように存在したり、ロンドン駅では同性同士で手をつなぎ合うカップルの方々がいたりと、日本での“非日常”をたくさん目の当たりにしていたんですよ。それらの経験を通して、自分の知っていたはずの現実がそもそも「正しいのか」と考えられたのは、大きな学びです。

 また、大学院では50~60代の方々も当たり前にいたし、知識や人生経験が豊富な人たちに囲まれていたのも自分にとっては刺激的な体験でした。

■ ■ ■ ■ ■

 ほんのささいなひらめきから、大学受験やケンブリッジ大学大学院への進学、ひいては経営者の道へとキャリアを積み重ねてきた塚本さん。

 インタビュー中、「頭でっかちになるよりも、小さなアクションを起こして反応をみることが大切」と話していましたが、考えるよりまず行動というマインドは、めまぐるしいビジネスの現場においてもきっと役に立つはずです。

インタビュー後編はこちら
仕事の段取りが「うまい人・へたな人」の圧倒的な違い

<取材・文・写真/カネコシュウヘイ>

塚本亮
1984年、京都生まれ。同志社大学経済学部を卒業後、ケンブリッジ大学大学院修士課程修了。帰国後、京都にてグローバルリーダー育成を専門とした「ジーエルアカデミア」設立。著書は『ケンブリッジ式1分間段取り術』など多数。

フリーの取材記者。編集者、デザイナー。アイドルやエンタメ、サブカルが得意分野。現場主義。私立恵比寿中学、BABYMETAL、さくら学院、ハロプロ(アンジュルム、Juice=Juice、カンガル)が核。拙著『BABYMETAL追っかけ日記』(鉄人社)。Twitterは@sorao17

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