道の駅・大阪万博・力道山の共通点は?答えは…ソフトクリームブームの火付け役!【7月3日はソフトクリームの日】
ソフトクリームの流行の変遷
1950年代 第1次ソフトクリームブーム「街のそば屋と力道山」
テレビ放送が始まったのは1953年。テレビはまだ高価だったこの時代。東京下町のおそば屋さんが、客寄せのひとつとして店にテレビを置きはじめたという。当時人気のあった力道山が活躍するプロレス中継が始まるのは夜の8時。すでに夕食を済ませたお客さんがおそば屋さんに「テレビを見に」来る。蕎麦は要らないと言われてしまう。何とか売り上げを作りたいおそば屋さんが、ソフトクリームを売り出したらそれが飛ぶように売れたのだそうだ。1950年代のソフトクリームブームは「おそば屋さんと力道山」が火付け役だった。
1970年代 第2次ソフトクリームブーム「大阪万博」
1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)では、会場内に200台のソフトクリームフリーザーが設置された。この会場に183日間で6400万人が、全国各地からやってきた。6400万人はディズニーランドとシーを合わせた2年分にも相当する人数。この来場者がソフトクリームを食べながらパビリオンをめぐるのが流行した。全国各地に帰った来場者は、自分たちの街でソフトクリームを求め、全国各地の商店街、スーパーマーケットや駅ビル、ショッピングセンターでもソフトクリームの販売が始まり、全国的にソフトクリームが広がった。
1990年代 第3次ソフトクリームブーム「ご当地ソフト」
ご当地ソフトは、その土地の、そのお店でなければ食べられないオリジナルソフトクリームのことを言う。
1988~1989年に行われた国家プロジェクトの「ふるさと創生事業」で、全国の地方都市が注目を浴びるようになったこともあって、北海道の牧場自家製ソフトクリームブーム、地方の特産物を取り入れたご当地ソフトが、メディアで取り上げられるようになった。1993年には全国に「道の駅」が制定され始め、「ご当地ソフト」が広がっていった。
2000年代 「クレミア」がブーム
2013年7月に発売した「クレミア」は販売店に行列ができるブームを巻き起こした。
最高を目指し誕生したという、コクが広がり、味わい深まる「クレミア」は、乳脂肪12.5%、生クリーム25%のクリームとラングドシャの菓子コーンが特徴のプレミアム生クリームソフトだ。「働く女性時代」のために発売したという。
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大きなブームだけ紹介したが、この間には、新しいソフトクリームフリーザーやさまざまな種類のコーンの開発、時代に合わせた進化が続いている。
ソフトクリーム豆知識
ソフトクリームは和製英語!
「ソフトクリーム」は、英語で “soft serve ice cream”(ソフトサーブアイスクリーム)と言う。日世の創業者である日系二世の田中穰治氏が日本でソフトクリームを広めるために、できるだけ短くわかりやすい表現にしようと「serve」と「ice」を省略し、「ソフトクリーム」と命名したそうだ。
「コーン」はトウモロコシにあらず!
ソフトクリームのコーン。さて、この「コーン」の意味は知っているだろうか。答えは「CONE(円錐)」だ。決して、「CORN(トウモロコシ)」ではない。コーンの主原料は小麦であり、トウモロコシは使用されていない。
コーンなのにケーキ?
コーンには「CAKE」という文字が入ったものがある。日世のコーンの1つ「No.1フレアートップコーン」のような軽い食感のタイプのコーンはケーキコーン(CAKE CONE)と呼ばれている。「CAKE CONE」は円錐状のお菓子という意味だ。