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「完全な妖怪になりたい」京大卒の30歳ピン芸人が描く“異色のキャリア”

暮らし

なりたかったのはエリートではなく…

九月

青森県から京都に移住したのは「妖怪になりたかったから」

──入学当初はどのような大学生を目指していましたか?

九月:入学時からお笑い芸人を目指していた訳ではありません。「京都に行ったら生きられる範囲が広がる」から、いっぱい勉強しようとか、土地の匂いを身体に馴染ませようとか思っていたんですけど、何より1番に目指したのは“妖怪”になることでした。

──妖怪ですか!?

九月:もともと僕が生まれ育った青森県って、ある種のおどろおどろしさ、土の匂い、少しの優しさから成る、「妖怪的な想像力」が脈打っている土地だと思うんです。恐山のイタコだったり、白神山地の荘厳さだったり、豪雪だったり、浜風だったり。それこそ、隣県岩手県には『遠野物語』とかもありますよね。

そういう、東北の原風景的な想像力の土台が自分にあることは強く感じていたんです。例えば小説家の太宰治や、劇作家の寺山修司、バンドで言うなら人間椅子など、青森っぽい想像力のトーンというか。そこに京都の匂いが足されたら、組み合わせ的に面白くなるんじゃないか、結果的に物凄く強い妖怪になれるんじゃないかなと、漠然と期待していました。

妖怪になれず燻っていた日々

九月

大学時代の九月さん。NPO活動などに力を入れていた

──妖怪的な文化圏で育ったのですね。京都もさまざまな歴史や文化が育まれた“妖怪”的な土壌を持っていますものね。

九月:ただ、大学に入ってすぐ周囲とのギャップを感じたんです。京都大学には全国から妖怪候補の人間ばかりが集まってきていると思っていましたが、蓋を開けてみると幼少期から官僚や大手企業を目指すために勉強してきた、いわゆる「エリート」ばかりでした。

そりゃ当然そうなんですけどね。自由で奇想天外な学生生活を歩み、ついに人間をやめられると期待していたのに、ここに居たら凄い人間になってしまうじゃないかと落胆しました。その落胆から、大学に行かなくなった時期もありました。

──大学に行っていない時は何をされていたのですか?

九月:就職やキャリアには興味が湧かなくて、在学中はNPO法人の活動やベンチャー企業のインターンやボランティアなどをして過ごしていました。でも次第に、これらは一生やることじゃないなと思うようになりました。そこで「原点に戻ろう」ということで大学に戻り、猛勉強を始めました。なんとか4年で卒業し大学院の修士課程に進学しました。

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