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気仙沼に戻ると決意したきっかけ

震災

気仙沼湾も大切な資源ということで開発したクルージングツアー

 企業からの出向、初めての復興支援という業務、そして同じ年齢、小松さんは私とほぼ同じ状況だったが、私とひとつだけ大きな違いがあった。それは、彼は気仙沼出身者であったということだ

 生まれはまさに気仙沼漁港のすぐそばで、その後、小中校時代を気仙沼で過ごしていた。大学、社会人時代は気仙沼を離れ、東京で家族を持ち、自宅を構えて。もう戻ることはないだろうと思っていた矢先、10年前のあの地震が起こった
 
「10年前のあの日、たまたま大阪に出張していた時に地震を知りました。そしてそれが地元を直撃していると知って、心配で家族に連絡を入れたんですがつながらず、数日間、音信不通の状態でした」

 結果的に彼の両親は無事だったが、祖母を津波で亡くし、また父が経営していた会社の従業員2人も命を落としてしまった。「父の会社で自分が生まれる前から働いてくれていた人たちだったので、遺体が見つかった時は号泣しました」。

かけがえのない戦友だった

 そして、そんな地元に何かできることはないかと悩んでいた時に、出向の話を聞く。

「聞いたときに、絶対自分が行きたいと思いました。ただ、身内のみんなに相談したんですが、全員に反対にされました。それでも自分の意志を貫き、無理を言って地元に戻りました」

震災

小松さんの実家が経営されている会社のオフィス。「震災当日には2階天井近くまで浸水した」

 突然の人事異動だった私と違い、彼には地元気仙沼に戻る決意があった。そこから4年間、ともに気仙沼市役所で「震災復興」をやってきた。慣れない仕事に加え、日頃から地域に溶け込むため、一緒に祭りや地域の活動に参加したりしながら、気仙沼という街を、より感じられるよう2人で努力した。

 たぶん、ここまで自分が気仙沼という街に感情移入できたのは、彼との経験があったからだと思える。文字通りかけがえのない戦友だった

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