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コロナで売上9割減の「よーじや」 あぶらとり紙だけじゃない“次の一手”

ビジネス

雑誌企画への露出で認知度が広がる

 そんな社会背景のなか、入江氏は「とある雑誌にて『あなたのバッグの中身を見せてください』という企画が、あぶらとり紙の認知度を広めるきっかけのひとつになった」と語る。

「特に我々から依頼したわけでもなく、雑誌に出る女優の方がバッグによーじやのあぶらとり紙を忍ばせていたんです。そこから、“芸能人御用達”という形で話題となり、全国から問い合わせがくるようになった」

 また、時を同じくして4代目社長の國枝泰博氏(現よーじやグループ 会長)は“よーじやブランド”の確立をすべく、隆盛の礎となる事業基盤づくりを行った。

戦後しばらく中止していたオリジナル商品の開発や販路拡大などを再開しました。これまで京都を中心に展開してきましたが、全国のお客様にも京都の化粧文化や、よーじやの魅力を伝えたい想いから、百貨店への催事出店を始めたんです。

 当時、化粧品売り場の坪効率が日本一だった阪急梅田への出店を皮切りに、全国へと催事販売を広めていきました。主力のあぶらとり紙を中心にオリジナル商品も合わせて販売し、また『京都ブランドの伝統感』が伝わるような売り場づくりや接客サービスを意識したことで、口コミが広がり、大きな反響を得ることができました」

6日で6000万円売り上げた時も

よーじや

よーじやの美粧品アイテム一覧

 1990年代は知名度アップをメインに行ってきたよーじやだが、2000年代に入ると“100年プロジェクト”と銘打ち、顧客満足度や付加価値を訴求するためにリブランディングを始めた。「知名度はある程度広がってきたので、販促活動を色々と工夫した」と話す入江氏は、催事出店の取り組み方を変えた点について次のように説明する。

「普通に商品を販売するのではなく、売上以外の付加価値が提案できるよう努めました。ただ装飾するのではなく、よーじやの世界観が伝わるような店構えを装い、ポップアップのような本格的な売り場空間を作ったんですね。

 また、京都弁を使いながら接客をすることで、さながら京都へ訪れているような感覚をお客様に味わってもらえるよう取り組みました。その結果、以前にも増して多くの反響を得ることができ、6日間の売上が最大で6000万円を超える時もありました

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