日本人が気づかない「身近な差別」の存在。区別とはどう違う?<小原ブラスの“甘口”人生相談>
許される差別、許されない差別
例えば、カフェで注文したコーヒーを運んできた店員が美人だった場合に「ありがとう」という言葉をかけるのに、そうではない店員にはとくに言葉をかけないのも差別ですし、会社で自分と同じ出身の後輩を他の後輩よりも可愛がるのも差別。
そんな些細なことまで? と思われるかもしれませんが、扱いに差がある以上、それも「差別」です。そして、それが許される差別なのか、許されない差別なのかは結局は各々の価値観に委ねるほかにありません。
「全ての差別は絶対にダメだ」とする考え方は素晴らしいかもしれないけれど、その発言で思考停止しないように気をつけたいですね。さもないと、あなたの視界に入っていないだけで、まだこの世に存在する差別に気付くチャンスを逸してしまうかもしれません。
どんな場所にも小さな差別は転がっている。そして自分もついやってしまっている。この差別は自分の価値観では許せるだろうか? 誰かの判断に任すのではなく、自分で1つひとつ許せるか許せないのか向き合うべきなのかもしれません。
<TEXT/タレント 小原ブラス>