とにかく明るい安村、話題ネタのルーツを辿る「コンビ解散して、やっと覚悟ができた」
『有吉の壁』で見せる体当たりの芸が話題になっている、とにかく明るい安村さん(@yasudebu)。
そのなかで見せた「東京って凄い」という歌ネタは、大人しかった自分が上京して20年、今は恥ずかしげもなくネタをやっている……という半生を凝縮した作品で、同番組MCの有吉弘行さんをはじめ、他の芸人もホロリ。SNSでも〈笑えるのにグッとくる〉〈頭から離れない〉〈感動してしまった〉など視聴者の心をつかみました。
有吉さんも「笑えてジンとくる」と評した、安村さんの「東京って凄い」が誕生するまでのルーツを辿るインタビュー。前編では、安村さんが東京に出てくるまで、そして東京で「凄い」と思ったことについて、じっくりお話をうかがいました。
幼少期は1人遊びも得意な“末っ子気質”
――「東京って凄い」では、生い立ちから現在を凝縮したドキュメンタリーのような歌ネタが話題になりました。どんな子供でしたか。
とにかく明るい安村(以下、安村):人見知りで、落ち着きがない子供でした。家が電気屋だったんですけど、父がテレビ局にあるようなカメラでよく家族の映像を撮っていて、僕はカメラを向けられると、決まって何かおどけてみせたりして。
兄貴が2人いて、近所にもお兄ちゃんみたいな友達が2人いて、5人でよく遊んでいました。自転車で競争して腕を骨折したりとか、そういうやんちゃな子供でしたね。
ただ、遊ぶ相手が全員年上だったので、お兄ちゃんたちが学校に行ってる間は一人遊び。ナメクジをいじったり、とんぼを捕まえてきて家の中で離したり、空を見上げて雪が降ってくる方向をずうっと見つめているうちに、自分が浮いているみたいな感覚になるのを楽しんだり。一人で忍者ごっこをするのも好きでした。
「人前で笑わせようなんて思ってなかった」
――年下で可愛がられる一方で、一人遊びも得意だったんですね。人前に出るのが好きだとか、笑わそうといった気持ちは?
安村:それが、まったくなかったんです。
――お笑いをやろうと意識したのはいつから?
安村:お笑いをやろうと思ったのは、中3くらい。ガキ大将みたいだった幼馴染(※安村がかつてコンビを組んでいた「アームストロング」の栗山直人)の横にずっといるヤツでした。小さい頃から自分の意志があまりなくて、いつもそばにいる人についていく感じだったんですね。そいつが中学校の文化祭で漫才をやろうと言って、何も考えず「いいよ」って。
――そこで、お笑いの楽しさを知ったのでしょうか。
安村:いやぁ~…。誰かを笑わせて楽しいというよりは、まだまだ仲間内、友達同士で笑って楽しいって感じだったと思いますね。
――その後上京。北海道から東京ということで、かなりの決心があったのでは?
安村:そうですね。僕がいたのは旭川で、出るとしたら大体札幌なんです。でも俺らは、みんなが札幌行ってるんだったら、もう東京行こうと。誘われるままに、高校を卒業して一緒に東京に出てきました。自分が今、一番不思議ですね。自分でやりたいわけではなく、誘われて上京して、今でもお笑いを続けている。