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マカロンブーム火付け役として25年。「ピエール・エルメ」トップに聞く、コロナ危機の奮闘

ビジネス

当時は珍しかったお菓子の“シズル感”を訴求

PH PARIS JAPON

 そして、パリの文化を日本から広めていくべく、1998年にピエール・エルメ・パリの第1号店を東京のホテルニューオータニへ出店する。とはいえ、フランスでは当たり前に知られているマカロンも、日本では知名度もほとんどなかった。

 それでも、マカロンやカヌレなどのお菓子が持つ職人の手作り感や伝統、感性を余すことなく伝えるために、フランス本国の味や大きさは一切変えないことにこだわったという。

「今のように動画やSNSがない時代でしたので、フランスの伝統的なお菓子のレシピや世界観を載せた本を数多く出版していました。およそ100冊は出したと思いますが、当時は『スイーツの魅力を引き立てる“シズル感”』のあるレシピ本は珍しかったと思います。その写真を店舗にいらしたお客様にお見せしながら、コミュニケーションしていくことを意識していましたね」

ファッション業界の考え方を取り入れた世界観

PH PARIS JAPON

マカロンやケーキなどのスイーツを詰め合わせた「Douceur du Nouvel An(ドゥスール デュ ヌーベル アン)」

「まだ誰も知らないようなスイーツが、ピエール・エルメ・パリにある」。こうした口コミが次第に広まっていき、2000年代に入ってからのマカロンブームを大きく牽引するブランドとして知られるようになった

プロモーションの仕方に加え、こだわったのが“体験”でした。今でこそ『体験型店舗』や『コト消費』などはよく聞かれるようになっていますが、ピエール・エルメ・パリでは当初からお客様の“体験”にフォーカスしていたのです。店舗の空間から調度品、まるで宝石箱を開けるようなパッケージデザインなど、単なるお菓子屋さんではなく、贅沢で特別な体験を味わえるように努めました

 店舗のデザインや商品パッケージなどは、高級宝石店から着想を得たという。さらに新商品ではなく「コレクション」、スイーツを作るパティシエではなく「クリエイター」など、業界で使われる一般的な言葉をあえて使わず、さながらファッションブランドのような世界観を構築していった。

 これこそ、ピエール・エルメ・パリのユニーク性につながり、他社と差別化できる大きな要因になったと言えよう。

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