サンシャイン池崎「就活は1回もしなかった」。原点は“家賃700円”の学生寮
自己紹介ネタは『天元突破グレンラガン』がきっかけ
――その後はどんな道のりを?
池崎:大学を卒業して4月から入学するんですが、特待生オーディションっていうのがあって、ネタ見せして「こいつらいいな」って思われたら、授業料が免除になるんです。僕はしっかり全額払いましたよ(笑)。それで、1年後に行われる卒業ライブに合格すれば晴れて事務所に所属できるんですが、70組近くいる中で通れるのは56組ぐらい。結局そこでは入れなくて「フリー」という形になりました。
そこから2年ぐらいは、ワタナベが開催していたオーディションライブを受ける日々でしたね。5つの星を獲得したら所属できる制度で、その日のライブで3位以内に入ったら星をもらえる。で、5個目は必ず1位にならないとダメっていうルール。その時はコンビで挑戦していたんですが、星を2つ取るのが限界で。その間に、相方の心が折れちゃって、結局ピンでやりはじめることになったんです。そしたら思いのほかウケて、半年で5個取りきることができました。
――「サンシャイン池崎」の誕生となるわけですね。ネタはいまと変わらずですか。
池崎:いまのほうがテンション高いですけど、すでにタンクトップも着ていたし、ベースは似ていたかも。“自己紹介ネタ”を思いついたのは、好きなアニメ『天元突破グレンラガン』からで、バトルシーンの前に、長くて熱い「前口上」を言うんですよ。それをヒントにしてネタ見せで実践してみたら、慣れてないからめちゃくちゃ噛んじゃって。
「もう1回最初からやらせてください」っていうのを繰り返していたら、見ていた講師から「はよ言えや!」ってツッコまれたんです。そこで「あれ、自己紹介がいつまでも終わらないのって面白えんじゃないか?」って気づいて。
同期の活躍を見て余計なプライドは捨てた
――それでも、テレビで露出が増えるまでは時間がありますよね。挫けそうになったりはしなかったんですか?
池崎:辞める選択肢がちらつくときはありましたよ。30歳過ぎても売れてなかったし、アルバイト先では、社員にならないか打診されていて、「今やめたら楽なんじゃないか」って。でも大学卒業してからお笑いしかやってないし、死ぬ気でやって本当に死ぬぐらいまでやりたかった。じゃなかったら、お笑い芸人を夢見ていた小さい頃の自分を裏切る形になるじゃないですか。
挫けそうになったのは、豪徳寺(世田谷区)で5万5000円の1Rアパートに住んでいる時ですかね。テレビに同期のハライチ、バービー、後輩のあばれる君なんかが出ているときはマジで悔しかった。「あれ、もしかしたら俺ってやばい状況なんじゃないか?」って思いましたし。
そのあたりから、余計なプライドは捨てました。ずっと人からアドバイスを受けるのが好きじゃなくて、作家を付けるのを拒否していたんですが、初ライブで一緒にやるようになったんです。「ピン芸人なんだから、自分で考えて笑いを取っていかないと負け」みたいな変なプライドがあって。実際、一緒に作るようになったら、ウケ方のステージが一気に変わったんすよね。お客さんの「芯」に当てている感覚を味わえたというか。