28歳女性、就活をやめて被災地で「銭湯と朝ご飯屋」を開いた理由
新型コロナウイルスの影響によるテレワーク、在宅勤務の拡大を受けて、地方移住に目を向ける人が増えている。
現役リクルート社員の森成人さんは、2013年より出向先である宮城県気仙沼市で生活し、1405日間(およそ3年10か月)の仮設住宅暮らしをブログ「気仙沼出向生活」で綴っている。
本連載では森さんが被災地の生活を通じて知り合った、ローカルで活躍する若者などを紹介する。それが今回お話を聞いた根岸えまさん。政府主導の「GoToキャンペーン」が実施中だが、地域資源と向き合い、自らの価値を探して生きる姿を見て、行き先の参考にしてはどうだろうか(以下、森さん寄稿)。
漁師さんのための銭湯と朝ご飯屋さん
前回の記事では、なぜ私のような都会しか知らない人間が突然、被災地気仙沼というローカルに住むことになったのか? そしてその時の様子がどうだったのかについてまとめた。今回からはそんなローカルに住んで、出会った人たちについて書いてみたい。
気仙沼で最近できた飲食店街がある。「みしおね横丁」といって、震災後の復興で新たに生まれたスポットだ。そこにはトレーラーハウス型の店舗がいくつもあり、さまざまな種類の飲食店が集まっている。
その中でも一風変わったお店が、銭湯と朝ご飯屋さんが併設された「鶴亀食堂」だ。観光客も多く訪れる人気のお店で、元気な女性の笑顔が迎えてくれる。それが今回お話を聞いた、根岸えまさん(28歳)だ。
なぜ「銭湯と朝ご飯屋さん」というコンセプトだったのか? 彼女から返ってきたセリフが新鮮だった。
「漁師さんにとって銭湯って大事なんです。でも震災もあって、街から銭湯がなくなってしまった。それにこんなにおいしい魚の街なのに、朝ご飯屋さんがないのはもったいないですよね? 私は漁師さんが大好きだから朝ご飯屋さんをはじめました」
東京で生まれ、都内の大学を卒業した直後に、根岸さんは単身で気仙沼に移住してきた。尖ったコンセプトのお店は漁師さんがターゲットだという。
漁師さんとの出会いが移住のきっかけ
都会の20代女性がなぜ縁もゆかりもない気仙沼の漁師をターゲットに、お店を作ることにしたのか?
「震災から4年が経った頃でした。学生ボランティアがきっかけで気仙沼を訪れたのですが、あるイベントでたまたま場所を借りることになり、そのときにお会いした漁師さん宅で晩御飯をご馳走になったんです。それまで正直、漁師さんって会ったこともなくて、どんな仕事なのかもよくわかりませんでした。
だけど、その時、命を懸けて行った沖だし(停泊している自分の船を守るためにあえて津波の来る海へ向けて船を出す行為)や、津波後に漁具がなくなったことなど、震災当時のことを聞かせてもらいました。そしたら最後、その漁師さんが初対面にもかかわらず、感極まって泣いてしまったんです」
彼女が「なぜそこまでして漁師をやり続けたいと思うのか?」と聞くと、漁師は「この海が大好きで海が今の自分を育ててくれたからだ。この街のために漁業は続けていかなくちゃいけない」と返したという。
「圧倒的な使命感、そして街との繋がり、それに自分で取った魚が食卓に並んでいる。これまで生きて、初めての感情が連続して浮かんできたのかもしれません」(根岸さん)
そこで、彼女は見ず知らずの街、気仙沼で漁師のために生きたいと決めた。