日本と海外の映画業界の”ざんねんな違い”。鬼才監督が語る
筒井真理子の“よこがお”に見たもの
――本作は主演、筒井真理子さんの“よこがお”の美しさにインスパイアされて本作を作られたと聞きました。
深田:『淵に立つ』の毎日映画コンクール女優主演賞後に取材を受けているときの筒井さんの横顔がすごく美しかったんですよ。“よこがお”は「半身は見えているけれど、半身は見えない」という状態。そこで、この映画は「一度には見ることのできない人間の複雑な多面性」を見てもらえるような構成にしてみたんです。そもそも“人間は多面的な生き物”ですから。
――監督の作品には“家族の危うさ”というテーマも通底しているのでは?
深田:私の目には家族が危うく見えるんです。それを否定も肯定もせず、自分がこうだと思っている家族を撮っているだけです。例えば、映画のなかにも同じようなセリフがありますが、画家によって同じ花を描いても描く花が違う。花に生命力を見出す人もいれば、枯れていく花に美を見出す人もいる。
だから家族を描こうとしたときに、自分にとって家族はこういうものであるということが露わになることになりますが、そこには特にメッセージ性はなく。ただし、自分の世界観をきちんと伝えることは大事だと思っています。
<取材・文/此花さくや 撮影/スギゾー。>