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デリヘル嬢は「演じていてツラかった」恒松祐里が感じた“生きづらさの正体”

暮らし

 2005年のドラマ『瑠璃の島』で子役としてキャリアを始め、映画『くちびるに歌を』(2015)、『散歩する侵略者』(2017)、『酔うと化け物になる父がつらい』(2020)など、ドラマ・映画と活躍を続ける女優の恒松祐里さん(22)。出演作が絶えない若手実力派の彼女が、山田佳奈監督が自身主宰の同名舞台を映画化した『タイトル、拒絶』に出演しました(2020年11月13日より全国で順次上映中)。

恒松祐里さん(22)

恒松祐里さん(22)

 恒松さんが本作で演じるキャラクターは、店で一番人気のデリヘル嬢・マヒルという女性。不遇な生い立ちを経てセックスワーカーとしてしか生きられない自分の苦しみを抑え込み、辛くても笑うことしかできない女性の生き様を、その確かな表現力で演じています。

 この物語の舞台は風俗店ですが、そこで働く登場人物には誰もが共感できるだろうと恒松さんは言います。本作への思いや、同世代へのアドバイスを、女優というキャリアを重ねている恒松さんに聞きました。

デリヘル嬢の役「演じていて辛かった」

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『タイトル、拒絶』より(以下、同じ)

――店で一番人気のデリヘル嬢・マヒルという女性は、ある種の“女性の生きづらさ”の象徴のように映りますが、彼女の人生をどう受け止めて演じましたか?

恒松祐里(以下、恒松):マヒルちゃんはどこかで、この生き方でしか自分は生きられないとわかっていると思うんですよね。本当は変われるはずなのに、半ばあきらめてしまっていることを確信してしまっているのか、これがベストだと思っているのか……。だから前にも進めないし、後ろにも下がれないんですよね。辛いけれど、だからこそ笑うしかないという、そういう理解をしました。

――確かに、身動きできない苦しみが伝わりますよね。

恒松:マヒルちゃんは高校生くらいからお母さんの彼氏のご機嫌取りをしてお金をもらうという生活をしていました。高校生って一番自分の気持ちが成長していく時期なのに、そういう道しか選べなくなってしまった。その彼女が、もがいている作品でもあるんです。この映画では描かれてはいないのですが、カチカチ山でいうタヌキであるカノウ(伊藤沙莉)と、ウサギであるマヒルちゃんが共存できれば素敵なんだと思います。

 カノウは「ウサギになりたい、普通じゃない自分になりたい」という願いがある。一方でマヒルちゃんはそうじゃないと生きられないけれど「本当はタヌキになりたかったぜ」っていうセリフがあるように、本当は普通になりたい。そのふたりが共存できたら、お互い心地よく暮らせるのになって。お互いの苦しみを知って、お互い違う方向に行けたら成長できるのになって思いました。でも、劇中でのマヒルちゃんは、もうどこにも行けない状態。それは演じていてもツラかったですし、あのビルから出られない感じが観ていてもツラかったです。

「危険を回避する能力が高い自負がある」

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――映画の舞台はデリヘルですが、これはどこにでもある話ですよね。

恒松:そうですね。たとえば職場などで女性・男性にかかわらず、もう笑うしかない状態ってあるかもしれないし、ストレスがあっても大丈夫なふりをする瞬間が誰にでもあると思うんです。たぶんマヒルちゃんの状況は、大げさに演じているところはあるかもしれないけれど、誰でも共感できるのではないかなって思っています。

――先日、伊藤沙莉さんにインタビューした際、「逃げ道はあったほうが絶対いいですよね」と言っていましたが、もしも自分がマヒルのような状況だったらどうするか考えましたか?

恒松:わたしはそういう状況になる前に回避します。それはある種の逃げなのかもしれないですが、危ない局面に向かいそうだなって5歩手前で気づいて、急に反対方向に行けるタイプなんです(笑)。だから悪い局面に当たらないというか、避ける能力が高いという自負があります。その場にまず行かないので、自分を守れていると思いますね。職業柄、追い込まれた気持ちを作らなければいけないこともあるのですが、仕事なのでネガティブな感情もすっきり終わることができますね。

 今回も、撮影が“順撮り”に近かったので、感情が爆発するようなシーンでは、その時に自分の中にあった黒く溜め込んだものを全部吐き出せたので、すっきりできました。なので、自分ですっきりする方法を身につけることもありだと思います。なるべくストレスを溜めないように。短期集中型か、その前に逃げるか、ですね。

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