安倍氏銃撃から考える、政治家が宗教団体に“お墨付き”を与えることの危うさ
実態を隠し、政治に近づく宗教団体
日本では「政教分離の原則」が憲法で定められていますが、なぜなのか。これはかつて、国家神道により日本が“戦争マシーン”になっていたことに対する反省によるものです。これによってさまざまな宗教が存在する自由を日本は認めていて、そこに政治は関わらないという建てつけになっています。
宗教法人を営む上では、非常にやりやすい環境のはずですが、そうなったときに宗教法人は宗教団体ではない関連団体、NGOやNPO、または独自のメディアを立ち上げて、宗教団体ではないという体裁で、政治と距離を近づけていくという手法を取るようになっています。
もし政治家がそこに関わるのであれば、当然その背景も公にして、堂々と関わる以外、正解がないと思います。これが隠れ蓑のようになったり、あるいは政治家側が相手がどういう団体かを精査せずに協力している場合もあると思いますが、そうしたことによる弊害が、もっとも悲劇的な形で今回は表出してしまったのだとも思います。
わずか5分のスピーチが殺意の契機に
今回の容疑者はそもそも旧統一教会を日本に招いたと言われる岸信介元総理の孫である安倍さんが、2021年にも関連団体であるNGO「UPF(天宙平和連合)」の集会に5分のスピーチを送っていたことが殺意の契機になったと言われています。
旧統一教会は政治団体として反共産主義の「国際勝共連合」を立ち上げています。これは当時の韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権の支持を得て、岸信介や児玉誉士夫ら日本の右派の反共活動とも連携し、現在も“共産党アレルギー”として特にネット空間には色濃く残っていると思われます。安倍さんは国際勝共連合の機関紙『世界思想』の表紙にも何度か登場しています。
7月11日以降、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズといった海外メディアの記事でも、旧統一教会についての詳細なレポートを掲載しています。事件が起こってしまった後だからといって、今そのことを知って遅いということはありません。その前に対処すべきだったという意味では遅きに失していると思いますが、事件後の対応としては、ある程度情報開示されてから報道していくことは正しいと思います。