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日産「シーマ」が生産終了へ。消滅の理由は、したたかな“脱ゴーン”戦略にアリ

ビジネス

2万1000人を削減した「日産リバイバルプラン」

 ゴーン氏は1999年10月18日に「日産リバイバルプラン」を発表します。計画の中心にあったのは、3年間で20%のコストを削減し、早期に利益を出すというものでした。そして国内の車両組立工場である「村山工場」「日産車体京都工場」「愛知機械港工場」、ユニット工場の「久里浜工場」「九州ユニット工場」の閉鎖を決めました。

 この大リストラによって2万1000人以上を削減しています。海外の経営者が突然日本にやってきて大ナタを振るう姿に、多くの人は戦々恐々としていました。ゴーン氏は「2002年度に営業利益率4.5%」を達成すると豪語しました。数字でしかものを語らず、冷酷に人を切る姿が国民の反感を買うことになるのですが、ゴーン氏の手腕は見事でした。

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リバイバルプランの成果 ※決算短信より筆者作成

 2002年度の営業利益率4.5%は達成できませんでしたが、2003年度、2004年度の営業利益率は4.8%。V字回復を果たすのです。

利益を度外視した「日産パワー88」

 2008年の世界金融危機という思わぬ景気の冷え込みにより、またも業績を落とした日産。しかも2011年に東日本大震災という未曽有の大災害に襲われます。このとき、日本の企業や政府が復興のために大量の外貨を売って円に換えるだろうという思惑から、戦後最大の円高となります。輸出で稼ぐ日産のような会社は大打撃を受けました。

 2011年6月27日、カルロス・ゴーン氏が打ち出した計画が「日産パワー88」でした。市場占有率の目標を2010年度の5.8%から8.0%(2016年度)まで引き上げる計画でした。コスト削減で高利益体質となった日産は、販売台数の拡大に舵を切ったのです。

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パワー88 ※日産自動車新中期経営計画より

 その戦略の中核にあったのが、新興国での占有率の拡大でした。中国、ブラジル、インド、ロシア、アセアン5か国でのプレゼンス向上を狙いました。特に中国は市場占有率を6.2%から10%まで引き上げるという野心的な目標でした。このとき、新興国での生産能力を高めるために工場などへの設備投資を加速しています。

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