『青天を衝け』はこれからが面白い。実は資本主義の父じゃない渋沢栄一の生涯
600組もの非営利事業にかかわった渋沢
他方、渋沢は三菱とは異なり、美術館などを設立することがありませんでした。そのため、これまでは芸術振興には関心が薄かったと言われてきました。渋沢に関する資料は、東京都北区王子の渋沢邸内にあった青淵(せいえん)文庫に保管されています。それらの多くは関東大震災で焼失してしまったこともあり、後世の渋沢研究を困難になりました。
それでも大河ドラマの主人公に抜擢され、1万円札の顔になることが決定したことで状況に変化が生じました。ここ数年間で渋沢研究は急速に、そして多角的に進んだのです。研究が進んだことにより、渋沢が芸術にも強い関心を示していたことが少しずつ解明されています。
合本主義を唱えた渋沢は、明確に資本主義とは一線を画していたことは間違いありません。しかも、後半生では非営利活動ばかりに取り組んでいました。それを物語るのが、非営利事業の数です。前述したように、渋沢が生涯に創業・経営に関与した企業は約500社です。対して、非営利事業は600組にもおよびます。実に、非営利事業のほうが100組も多いのです。
そうした渋沢の後半生の評価が強まるにつれ、渋沢を資本主義の父と呼ぶような風潮は薄れています。最近では、後半生の活動を踏まえて「社会事業家」と呼ばれるようになっているのです。資本主義の父と呼ばれる渋沢ですが、それは渋沢を体現しているとは言い難い表現です。前半生は合本主義の父、後半生は公益事業の父と呼ぶのが適切なのかもしれません。
<TEXT/小川裕夫>