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愛知 “密集”音楽フェス、主催者の決定的な怠慢/ラッパー・ダースレイダー

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東京五輪は“祝祭の模倣”である

開会式の菅義偉首相

オリンピック開会式の菅義偉首相(代表撮影:雑誌協会)

 僕はその意味において、コロナ以前からオリンピックを批判しています。なぜならば、オリンピックというものが祝祭の模倣にほかならないから。政府が国民に対してある種の共通感覚を作り上げ、行政がイメージする国家像をブーストさせる機能として使われていると僕は捉えています

 コロナ禍の2021年において行政がすべきは、民間イベントができる環境整備、つまりコロナ対策を徹底してやることでしょう。それによって、民間は各コミュニティの祭典を企画できる。僕はこの順番以外はありえないと思っています。しかし、コロナ禍で行政は自分たちの祝祭の開催にかなり注力しました。その結果、コロナ対策も中止・延期の補償の仕組みも整わないままに、民間はそれぞれの祝祭を開催せざるをえないという結論になっていきます。

 大規模なイベントの開催には、会場決めを含め、自治体・行政との協力は不可欠です。政府の補償制度が整わない状況で民間がイベントを行うためには考えるべきことがたくさんあります。もちろん、赤字覚悟で中止・延期の判断を下した主催者もたくさんいるでしょう。僕はそういった判断は非常に尊重すべきだと思います。

フジロックへの補助金が正当である理由

 同じ音楽フェス「フジロック」に経済産業省から補助金が出ていたことにやっかんでいる人もいるようですが、これはコロナ関係なしにもともと利用できる「J-LODlive(コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金)」という制度があるそうです。

 そもそもこれらのお金は私たちの税金から賄われており、「政府から金をもらって政府批判かよ」という声は筋違い。政府が親で、国民が子のごとく振る舞う人たちには、早く本当の民主主義に出会い、親離れしてほしいと、僕は強く思っています。

 と、話が少しそれましたが、開催する判断をする場合には、2021年のコロナ禍の日本でフェスをやる意味をよく考えること、そして覚悟が必要になってくると思います。極端な話をすれば、「コロナはただの風邪だ、感染対策なんか必要ない」といった考えの人々が民間のフェスを開催するということだって、僕はそれはそれでアリだと思います。支持するしないは別ですが。

 ただその結果、感染が拡大することも含めた責任を主催者がとることも含めて、それでもやるんだといったアナウンスが必要でしょうし、その結果どうなったかという事後報告も同様に大事です。それが社会の中で大きなイベントを開催する責任といえるでしょう。現状、国のコロナ対策に関しては濃厚接触者を追うことする放棄しているので、そもそも事後報告が極めて難しい状況にあることも考慮すべきです。

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