被災地・宮城を技能実習生で救う。インドネシアと地域をつなぐ男の挑戦
「企業と同時に生活基盤になる地域を知る」
賛同した他企業の社長も「地域の人事をひとつにすることは、自社だけでの採用活動に比べ、採用のPDCAが効率的にできると思いました。また就活生(求人者)にとっても、各企業を知ると同時に生活基盤になる地域を知ることは、進路の選択に大事な機会になると感じています」と言っている。
「気仙沼で水揚げされた美味しいカツオやサンマを食べながら求職相談できる場を提供することで、まずは企業の前に地域のことをきちんと知ってもらうことにも繋がるんです。幸い、さっそくインターン生の獲得にも成功してスタートは上々です」(菅原さん)
菅原さんは自社に閉じず気仙沼という小さな地域にさまざまな関係人口を結びつけることで、地域にとっても自社にとってもウインウインとなる機会を提供しつづけている。
戻る気のなかった故郷・気仙沼
そんな菅原さんだが、新卒当初は東京の会社の札幌支社勤務で、故郷・気仙沼に戻る気は全くなかったという。
「たまたま少しゆっくりしたいなと思った27歳のときに父親から『自社の手伝いをしてくれないか』と言われて、会社を辞めて、気仙沼に戻ってきました。ただ、当時は自社の仕事に馴染めず、一度は退社を本気で考えました。正直、気仙沼には長くいる予定ではなかったんです」
それがいまや故郷・気仙沼と、さまざまな関係人口をつなげる大使のような仕事をして、地域にとってなくてはならない存在になったのだから、不思議だ。
また、私にとってそれまでのローカルの経営者のイメージは、都会と比べて、地域に閉じた事業展開が多いと思っていた。しかし、菅原さんに出会って、逆にローカルの魅力を活かしたダイナミックでグローバルな経営ができるということも学ばせてもらった。震災の時にたくさんの人に助けてもらったのがきっかけで何かを始めるのは人のつながりだと気付いた。
菅原さんの経営は事業アイディアから始めるのでなく、常に関係人口との関係を強化するための事業づくりになっている。