「普通でいたくなかった」大学生4人が起こした強盗事件。被害は時価12億円!?
私たちは「特別な存在」でなければいけないのか?
――「特別な存在にならなければいけない」というプレッシャーを4人が常に抱えていたことは映画でも浮き彫りになりますが、今、彼らはメディアにも取り上げられ映画化もされ、とうとう「特別な存在になった」と思っているのでは?
レイトン監督:いい質問だね!(笑)ひょっとしたらそう思っているかもしれないね。けれども、彼らはきっと「“特別な存在”になることは価値があったのか?」と自問自答していると思います。家族や友人にかけてしまった苦しみや悲しみを目の当たりにした後、4人は強盗事件のことをとても後悔しているんですよ。
――ちなみに、4人の大学生が盗もうとした「アメリカの鳥類」の画集にあるフラミンゴの絵は、劇中にも登場しますし、本作のポスターなどにも使用されていますね。このフラミンゴにはなにか意味があるのですか?
レイトン監督:「アメリカの鳥類」はアメリカで最も高価な画集のうちの1冊で、このベニイロフラミンゴは画集なかで最もアイコニックな絵なんです。それに、とても希少で絶滅危惧種でもあることから、大学生4人の「特別な存在になりたい」という願望のシンボルでもあります。
「一線を越える」人々に惹かれてしまう理由
――映画の冒頭で、強盗事件を言い出したスペンサーが大学のフラタニティ(米大学男子学生の社交的クラブ。メンバーになるためにはイニシエーション/通過儀礼をパスしなければいけない)のイニシエーションを経験する、象徴的なシーンがありますね。
レイトン監督:映画は、スペンサーが大学入試の面接で「自分とはいったい何者か」という質問をされるシーンから始まりますが、彼にはまだその答えがありません。彼のアイデンティティはまだ固まっていないので、多くの生徒のようにフラタニティに入ろうとしますが、そこでの経験は彼の品位を下げるような恥ずかしいことでした。
こんなイニシエーションにいったい何の意味があるのか……? 彼は自分のアイデンティティを大学で探そうとしますが、間違ったところで探してしまっている。そんな彼が自分の人生に失望していく様子を描くためにフラタニティのシーンを入れたんです。
――劇中、実在のスペンサーがよく口にするのが“一線を越える”という言葉です。これは前作のドキュメンタリー映画『The Imposter』でも主人公が口にした言葉ですが、なぜ、監督は“一線を越える”人々に惹かれるのでしょうか?
レイトン監督:ははは。悪い決断をする人たちに、なぜか私は惹かれてしまうみたいです(笑)。“普通の人”がどうしようもなくひどい決断をし、手の負えない事態に陥る……。そのほうが、観客は自分を重ねて共感できるんじゃないでしょうか? 『オーシャンズ11』のジョージ・クルーニーよりもね。
実在の犯人と俳優が一緒に登場する実験的演出も
――映画では実在の4人が、一緒に登場するシーンがなかったのは、どうしてでしょう?
レイトン監督:彼らにはそれぞれの視点で事件を語ってもらいたかったので、あえて彼らを一緒に撮影することはありませんでした。もし彼らが撮影中に交流していたら、映画の結末は4人のハッピーな再会で終わってしまうかもしれない。それはなんだか違うと感じたんです。
――俳優たちは実在の4人に会って役作りをしたのですか?
レイトン監督:それは避けました。というのも、事件を起こしてから10年後、刑務所で服役し別人になってしまった4人に俳優が会ったとしても役作りには何の効果もないと思ったし、俳優たちには自分自身で役を解釈してほしかったから。俳優たちには、今の4人を絶対にマネしてほしくはなかった。
ただ、映画内で実在のウォレンとスペンサーは俳優たちと一緒に登場するシーンがあったので、必然的に彼らは撮影中に会いましたが、顔を合わせたのはほんの短い間だけ。だからお互いを影響し合うということはありませんでしたね。