独裁者は普通の人間。ナチス将校を装い大量虐殺をした20歳の少年
過去は現在であり、ヘロルトは私たちである
――色味を抑えた映像やモダンな音楽もとても印象的でした。
シュヴェンケ監督:マーティン・スコセッシ監督が『レイジング・ブル』(1980)のテスト映像を故マイケル・パウエル監督に見せたときに、パウエル監督が「激しい暴力を見せるときは白黒にしたほうがよい」と助言したという話をどこかで聞いたことがあって、いつか暴力をテーマにした作品を作ったときは、できるだけ白黒にしたいと思っていました。
それに、実際に事件が起きた1945年という“時代”を観客に感じてほしかったんです。あの時代にカラー映像はありませんでしたらからね。日本以外の国では白黒で公開しているんですが、日本の市場に合わせて色味を抑えたカラー映画にしたんですよ(笑)。
そうは言っても、音楽まで1940年代のものにしてしまうと、“現在”に生きる観客と“過去”の物語の間に、距離感が生まれてしまう。私はこの作品を“過去”の話としてではなく、説得力のあるサスペンスに満ちた“現在”の物語にしたかったんです。観客には映画のなかに生きてもらって事件を本当に体験してほしい、そんな思いがありました。
――映画が終盤に差し掛かるにつれ、「もしヘロルトが現在に生きていたらどうなったんだろう?」と想像していたところへ、あのエンドロールが出てきて驚きました。
シュヴェンケ監督:繰り返しになりますが、この映画は決して“過去”のものではなく、“現在”も続く物語です。あのエンドロールを通じて、過去から現在までの時間の連続性を表現したかった。ヘロルトや彼の仲間たちも決して過去の人たちではなく、現在の“私たち”なんだということを、皆さんに感じてもらえれば嬉しいです。
<取材・文/此花さくや>