発達障害で躁うつ病の26歳が、転職の末に「自分の仕事」を見つけるまで
「明日会社に行きたくない」と思うように
直属の上司にも嫌われたうえ、こうした言葉のダメージが、田中さんのメンタルをどんどん追いつめます。本人も「毎日線路に飛び込もうかなって思ってました。実際に電車が来るタイミングで線路に向かって走ったこともあります」と語るほどツラい時期だったようです。
「ほぼ毎日泣きながら帰って、明日会社行きたくない、でも行かなくて良い理由がない、と。駅のホームで『あ、今だ』と思い、衝動的に走って、でも直前で足がすくんで踏み留まる。それを3度も繰り返しました」
そして、ついに「朝、目が覚めても、本当に布団から出られない」状態になり、ドクターストップがかかって、2週間の休職を取得します。
「その休職期間が終わっても鬱な時期に入っていたので、全然職場に行けなくて。社長から遠回しに『もう辞めないの?』みたいな連絡もどんどん来ました、結局そのまま退職してしまいましたね」と語ります。
2社目では人間関係は上手くいくも
退職後の田中さんはどうなったのでしょうか――。意外なことに、すぐに再就職先を見つけることができたそうです。
「大学時代にアルバイトをしていた会社に偶然、欠員が出たため入社を勧められ、正社員の事務職として採用されたんです。1社目とは違い、会社の雰囲気になじむこともできて、基本的に人間関係は上手く行っていました」
しかし、事務職ということでパズルのような細かい仕事が多く、苦労は絶えませんでした。「数的処理が苦手で、前職以上にミスが多かったです。自分のペースでできないことも多くて、割り込みの仕事が連続したり、時間に追われると焦ってしまいました」。
また、直属の上司との相性が合わなかったことも大きなストレスになったようです。
「何時何分までにこれ終わらせて、とギリギリの期限で仕事を振ってきたり、自分の悪かったところと改善点を挙げる“ディスカッションタイム”を設けてきたりしました。ツラかったのは『自分がどうなりたいか明日までに書いてきて』という課題。そういう熱血系のスパルタ教育がとにかく怖くて苦手でした」
やがてストレスは限界に達し、2週間の休職をすることに。その時の面談で双極性障害のことを初めて打ち明けたところ、なんと上司からは「どうしたらそういう自分でも働けるのかを考えないとダメだ。病む奴にはいつも言うんだけど、人間は理性の動物なんだから、自分を上手くコントロールできないと」と、厳しい言葉が飛んだそうです。
「それができたら苦労しないと思いつつも、『はい』としか言えませんでした」と振り返ります。
いろいろ悩んでいたのが決壊してしまう
その後、職場復帰し、なんとか働いていたものの、ある出来事がきっかけで2度目の退職を決意します。
「会社に朝から行けないので、深夜に作業したことがあったのです。その時、ちょうど同じフロアに、鬱病経験者の女性がいたんです。今は治癒して、普通に働いている方だったのですが、『気持ちわかるよ』に始まり、『鬱のときは全然食べれないし、眠れなくて、でも夫が支えてくれて……』と、一方的なアドバイスを語ってきたんです」
「そんなの人それぞれだし、私に夫はいないし」などと思いながら、話を聞いていた田中さん。しばらく聞き流してのですが、自分のモヤモヤした悩みと相まって、泣き出してしまったそうです。
「いろいろと決壊してしまったのですが、彼女は『泣いちゃダメよ。男の人は女の子が泣いてると困っちゃうから』という一言を残して去ってしまった。ヒドいですよね? その翌日から完全に行けなくなって。会社に連絡することすらできなくなって、無断欠勤を続けた末に退社しました」