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発達障害で躁うつ病の26歳が、転職の末に「自分の仕事」を見つけるまで

学び

休養…そして障害者雇用の壁に直面

 会社を退職した田中さんはその後、主治医から「休養を取るように」と指示されます。自信もバイタリティもない状態で、急いで就活しても、いいところを見つけられる可能性は低いと判断し、通院しつつ休暇を取ることにします。

「しばらくは親の仕送りで生活していましたが、やがて障害者雇用も視野に入れて、就職活動を始めました。1、2社目の失敗を踏まえて、主治医には『単調な作業の繰り返しではなく、ある程度クリエイティブに頭を動かす仕事の方がいい』とアドバイスをされたので、クリエイティブ職を探すことにしました」

 しかし、そこに立ちはだかっていたのは、障害者雇用の厳しい現実でした。

「障害をオープンにして、自分に合った仕事をするというのが理想でしたが、ハローワークの障害者枠の求人は事務職や介護職が中心で、クリエイティブ職はほとんどありませんでした。給料も平均的に低く、都内で一人暮らしをするにはあまりに不安定でした」

3度目の正直。「一部オープン」という働き方

田中さん

田中さんが書いてくれた「躁うつ病の波」。1年ごとに躁状態と鬱状態が訪れるという

 結局、ハローワーク経由で「障害者枠」、民間の転職サイト経由で「一般枠」の採用面接を受けた結果、そのうち後者で「一部オープン」という形で働くことになったそうです。

「一般枠の正社員で、障害のことは何も言わずに受けたら採用されたんですが、障害を隠していることがずっと気にかかっていて……。前の会社でも『後から言われても困るよ』と言われた、ので、採用条件提示の時に障害のことを伝えました。

 会社の上層部で会議が行われた結果、3か月の試用期間の後、1年契約の契約社員という形で、その1年間の働きぶりを見て、契約更新もしくは正社員登用されるそうです。受かってからカミングアウトしたのは計画的に行ったわけではなく、良心の呵責ゆえだったのですが、結果的にラッキーでしたね」

 一部オープンという働き方は、どのようなものなのでしょうか。「小さい会社なので、障害のことを知っているのは上層部だけで、業務上、普段関わる人たちのなかで、知っているのは直属の上司だけです」と、田中さん。

「上司もまだ私にどれくらい仕事を振っていいのかわからないので、今は自分からペースを示しています。任された仕事が終わったら、自分から『次、何やればいいですか?』と聞いたり、『いつまでにやればいいですか?』と聞いて、それが早すぎるようであれば『ちょっと頑張ってみます』。大丈夫そうだったら『分かりました』みたいに。あとは、あまり抱え込まないように『今、どれだけ仕事持ってる?』と上司に確認してもらっています」

自分の普通ではないところを受け入れる

読書をする若い女性

 まだ比較的簡単な仕事しかしていないものの、「今の仕事は自分に合っていると思う」と言います。「今の会社で働き始めてからそんなに日は経っていませんが、働き始めの感覚は明らかに違います。前職の事務は最初からもっと疲労感や、戸惑うことも多かったのに対して、今のクリエイティブ職は頑張れば、少しずつやっていけそうな気がします。ある程度、自分の裁量で仕事ができるし、頭も使う、毎日少しずつ違う仕事ができるので助かっています」

 2度の転職を経て学んだのは、「焦りは禁物であることと、普通であることに執着しないこと」だと田中さんは語ります。

「2社目の退職から就活再開まで、4か月くらいゆっくり休みました。経験上、もしそこで焦って動いても良い結果は得られなかった。自分が感じていることを包み隠さず言ったことも転機になりました。主治医に言った『事務職って本当に向いてないと思うんです』という一言がなければ、たぶんクリエイティブ職には就けませんでした」

 それまで「ずっと普通に憧れていた」という田中さん。しかし、「今は、世間で普通とされていることや、自分が普通だと思うことを無理に目指して挫折するよりも、ちゃんと自分のことを振り返って、適性を見極めた上で働いたほうが“普通に”なれると思います」

 自分の障害に悩んでいる人に対して、田中さんは「一度自分の普通ではないところを受け入れることが、普通にたどり着く早道かもしれない」と語ります。もしあなたが当事者だったら、あるいは周囲に当事者がいたら、一度参考にしてみてもいいかもしれませんね。

<取材・文/絶対に終電を逃さない女>

早稲田大学在学中にライターとしての活動を始め、現在就職浪人をしながらフリーランスで続けている。興味のあるジャンルは生きづらさ、恋愛、ジェンダー、SNS、精神障害など。Twitterは@YPFiGtH

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