発達障害で躁うつ病の26歳が、転職の末に「自分の仕事」を見つけるまで
発達障害や精神疾患への理解が進んできた昨今。とはいえ、当事者が安定して働ける場所はまだまだ少なく、業務や人間関係のトラブルで、転職を繰り返す人も多いようです。
ADHDと双極性障害(躁鬱病)の診断を受けている田中美奈子さん(仮名・26歳)は、社会人になってから1年半の間に2度転職しています。「今の仕事は自分に合っていると感じる」と話す彼女は、どのような経緯を辿ったのでしょうか。
初めて「鬱病」と診断された大学生時代
最初に診断を受けたのは大学4年の終わり頃だった田中さん、「大学に行くことはできていたんですが、授業が終わった後、校舎のトイレに3時間くらい引きこもってからじゃないと帰れなくなっちゃって……」と語ります。
「医師の診断は鬱病でした。大学院に進学してアカデミズムの世界でずっとやっていくと思っていたのですが、院試に落ちてしまい、大学1年の頃から続けていた塾講師のバイトも辞めてしまいました。生活の主軸だった大学の授業とバイトを同時に失って、何をしていいかわからなくなっていたんですね」
医者からは「アイデンティティの喪失が原因ではないか」と言われますが、それでも大学を卒業し、大学院の聴講生をしながら翌年の院試を受けることを決意。しかし徐々に悪化して、大学に通うことも困難になり、夏には寝たきり状態になってしまいます。
双極性障害にADHDの診断まで…
田中さんは大学院は諦めて、一般就職も考え始めます。そこで、就活と院試の勉強とバイトを同時進行で続けたところ、医師に「ただの鬱ならここまで動けないはずだ」と言われ、再検査を受けます。
すると、「診断が双極性障害に変わったんです。それから、衝動性が強く浪費癖があることや、不注意傾向があることからADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断もつきました」(田中さん、以下同じ)。
双極性障害について尋ねると、紙にグラフを書きながら丁寧に説明してくれる姿に、真面目さを感じました。
「簡単に言うと、躁と鬱の波があります。最初は鬱からスタートして、どんどん下がっていく。1か月くらいするとだんだん上がっていって躁になって、また下がっていくというのを繰り返しています。
躁の時期は仕事も頑張れるけど、ADHDの特性もより強くなります。ミスが多かったり、不注意だったり、多弁だったり、浪費が酷くなったり。一方で、鬱の時はぱったり何もできなくなります。会社に行けなくなったり、希死念慮(死にたいと願うこと)が強かったりします」
躁状態で就活。広告代理店に内定も
そうして始まった田中さんの就職活動ですが、なんと、就活の時期が「躁状態」のときとたまたま重なったため、特に大きな失敗もなく広告代理店の企画職として採用されます。しかし、いざ働き始めると……。
「学生時代はそれほど支障が出なかった不注意による失敗が目立ってしまい、とにかくミスが多かったです。『本当にちゃんと確認した!?』ってよく怒られました。ちゃんと確認してるつもりなのにできてなくて、やる気ないと思われていました」
また、日頃のコミュニケーションでも「空気が読めない」とされるような言動を取ってしまったり、自分のやり方やルールにこだわりが強かったりと、本人曰く「(診断はされていないものの)ASD(自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群)らしき傾向もある」と言います。
「取引先との仕事で普通に会話に入ったつもりでも、後で上司に『なんで無理やり会話に入ってきたの?』みたいなことを言われたりして、最終的には取引先の人としゃべることを禁止されました。会社全体の雰囲気にも馴染めず、『自分の世界ばっかりじゃなくて、もっと大衆になじんだほうがいいよ』と言われて……本当に困りました。自分自身を否定されている気がしてツラかったです」