「父親が借金で蒸発」バブル全盛期の狂乱を描く漫画。作者が歩んだ“驚きの半生”<漫画>
新人賞を受賞!突然の商業誌デビュー!
──締切に追われながら作業をされる?
近藤:若いからできたことだと思うんですけど、ほぼ3日連続で徹夜みたいな感じですよ。一睡もしないまま過ごしてるんで、朝の情報番組をぼんやり観ている時に、「あれ?さっきも同じ番組、観たぞ?」と錯覚したり(笑)。ずっと起きてるから、体感として1日で2回も観てる感覚になるんですよね。
──壮絶な現場ですね。では、あまりご自身の創作については?
近藤:週に3日はそっちでアシスタントをして、あとの時間は空いてるので、そこでコツコツと描いてました。それを、ちばてつや賞に応募をしたらヤング部門の優秀新人賞を受賞したんですよ。22~23歳の時かな。
──いきなり応募して、賞を受賞されたんですね。ちなみに、内容は?
近藤:黒澤明の『用心棒』のヤンキー版みたいな感じでした。その作品で初めて担当の編集の方に付いていただいて、すぐにヤンマガ(『ヤング・マガジン増刊─黒ブタルーキー号─』)で読切作品を掲載してもらったんですよ。その内容はね……本当に時間が無い中で慌てて描いたので、ヤンキーが野球するような漫画だったことは覚えています。当時は、ヤンキー漫画が流行ってましたから。
自信を喪失して創作から離れてしまう
──トントン拍子で商業誌デビューをされて、次は連載を獲得しようと。
近藤:担当編集の方に、ネームを描いて見てもらってはボツをいただく毎日で(笑)。連載を獲得するために根気強く続けてはいたんですけど、そこで完全に自信を喪失してしまって。「これは、絶対に連載は無理だろうな」って、それで1度、創作から離れてしまうんですよ。
──漫画創作を休憩して、どうされたんですか?
近藤:父親が暮らす、フィリピンに行くようになるんです(笑)。
<取材・文/橋本未来>
【近藤令】
1993年、青年漫画の登竜門として知られる、ちばてつや賞ヤング部門にて優秀新人賞を受賞。その後、空前のパチンコブームの波に乗り、次々と創刊されたパチコン雑誌にて実録漫画の連載を4~5本掛け持ちするほどの売れっ子漫画家に。50歳を目前に、自身の父親やフィリピンでの出来事を描いた『ユウは何を見たか』でモーニング・ショート漫画大賞で矢部太郎賞を受賞し、『ココ・ロングバケーション』を発表。
Twitter:@kondourey