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なぜ「自分は不幸だ…」と思い込むのか?“ログインボーナス感覚”に解決のコツが

暮らし

讃美歌の1フレーズが教えてくれるのは…

■わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)

「数えよ、主のめぐみ」というのは、クリスチャンがよく口にするフレーズで、ノンクリスチャンの方も聞いたことがあるかもしれません。でも実はこれ、聖書に登場するフレーズではなく、いわゆる讃美歌の1フレーズなんです。元になっているのは聖書のこの「主が良くしてくださったことを何1つ忘れるな」です

 人間というのはどうしても幸福よりも不幸を、満足よりも不満を、良いニュースよりも悪いニュースを優先して覚えてしまうものです。これは人間をはじめ、あらゆる動物には生存本能があるからです。

 悪いニュースや不快な感覚は放っておくと自分に何らかの危害が及ぶ恐れがあるのに対して、良いニュースや心地よい感覚は放っておいても自分に危害が及ぶことはありません。そういうわけで人間の脳みそというのは幸福よりも不幸を優先的に処理して覚えるようにできているんです

 だから放っておくと人間は「また神様は僕に試練を与えた」とか「神様が祈りを聞いてくださらなかった」とか、神様に対しても不満ばっかりを覚えてしまいます。でも本当は、僕たちは日々あふれんばかりの幸せを神様からもらいつづけています。食事が与えられることも幸せですし、夜に眠ることも幸せです。

いくらでも幸せは転がっている

友人

 友人と語ることも幸せですし、1人で飲むコーヒーを飲むことも幸せです。こんなふうに、数えてみればいくらでも幸せはその辺に転がっているんです。自分を不幸だと思ってしまうのは、それをちゃんと受け取っていないか、受け取っているのにすぐに忘れてしまうかのどちらかです

 家族に対しても同じです。ついつい僕たちは家族に対して「今日はこれをしてくれなかった」「いつもこれをしてくれない」と不満を抱きがちですが、これも仕方のないことです。だって人間の脳みそは幸せじゃなくて不幸を数えるようにできているんですから。

 放っておけば家族の悪いところばかりが見えてきてしまうんです。でも「今日はこれをしてくれた」「いつもこれをしてくれている」と数えれば、きっと不満の数に勝るとも劣らない満足があるはずです

人生を深める おとな聖書: 教養とはこういうものだ。

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普段、なかなか接することがない聖書の超有名な言葉をチョイス。分厚い聖書を一から読まなくても、いい具合に人生に役立てられる1冊。

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