安倍元首相の国葬の“議論なき決定”は、なぜおかしいのか
東京大学中退の経歴で、マルチに活躍するラッパー・ダースレイダー(45歳・@DARTHREIDER)の連載「時事問題に吠える!」では現代に起きている政治や社会の問題に斬り込む。
安倍晋三元総理大臣の国葬をめぐり、世論が分かれている。時事通信の8月の世論調査によると、全額国費で負担する「国葬」として実施することについて、反対は47.3%、賛成は30.5%、どちらとも言えない・分からないは22.2%という結果となっている。
前編の記事に引き続きその状況下で国葬を行うことの問題点を、ダースレイダーが解説する(以下、ダースレイダー氏の寄稿)。
【前編】⇒安倍元首相の「国葬」を「お葬式」と混同する人に言いたい“重要な論点”
総理大臣にすべての権限があるわけではない
国葬に関して「岸田首相に決める権利がある」と話す人をしばしば見かけます。しかし、民主主義における主権者は、僕ら国民です。岸田さんには総理大臣としての権限はありますが、それはあくまでも僕らの代理人であり、内閣の中でポジションを勤めてよいという意味です。代理人に全権委任するわけでもありません。
身近な例え話をするなら、友達にパンを買って来てくれと頼んだのに、車を買って来られたら「なんでだよ」となりますよね。それで友達から「俺が代理を任されたから何買ってもいいだろ」と言われたら、そんな訳ないです。これは非常に簡単な考え方です。
つまり、僕らは国会議員に国を運営する代理を任せている訳です。国会議員の人たちの中から行政を担当する内閣を選ぶという決まりも国民が憲法で定めていて、そこからさらに総理大臣が選ばれています。法律に従って行政を行なうべき総理大臣が突然、根拠法がない国葬をやると言い出した場合、民主主義国家はどう対応すべきか?
「代理人を立てて話し合う」民主主義の構造
そもそもの前提条件の整理すると、意見が紛糾して法律もない場合は、国民の代理人が集まって、国会で話し合うんです。なかでも、国の一大事で有権者全員が参加する必要がある場合は、選挙を行う。自分の代理人を選んで投票し、選ばれた候補者は、国会議員、つまり「自身に投票しなかった人も含めた国民の代理人」として仕事をする。これが民主主義の構造です。
僕が「国葬に関してもさまざまな意見がありますね」という旨のツイートすると、いろいろとリプライしてくる人もいます。僕はそういう方には以下のような対応をします。
「なるほど、あなたの意見は僕とは違いますね。お互い忙しいですから、それでは代理人を立てて話し合ってもらいましょう。そういう場所、どこかあったかなぁ……。そうだ! 国会っていうところがあります。国会とはそういう場所なんです」と。前編の記事で安倍元総理の国葬を「お別れ会」に例えましたが、通夜・告別式はご遺体がありますから、早急に執り行う必要がありますが、お別れ会は期間を置いて設定できるわけですから、どうやってやるかって話し合いができるはずです。