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「リクルート事件」とは何だったのか?――平成の企業スキャンダル史

ビジネス

 しかし、先の中曽根、竹下ら大物政治家は立件されませんでした。これはリクルート・コスモス未公開株の譲渡が、具体的に何を目的としていたのかを特定できなかったからだと言われています。

 そして、疑惑をかけられた官僚や閣僚たちは、「妻(家族)が株をもらったから自分は知らない」などとしらを切り、核心に迫る解明はしないまま事件は終結。国民の間には政治不信だけが残る結果となってしまいます。

「リクルート事件」が世間に与えた余波

リクルート

 国民の政治不信による内閣支持率の低迷を受け、1989年4月、竹下登は内閣総辞職を表明。同年6月に総辞職に追い込まれました。この事件を契機に「政治改革」が重要なテーマとなり、選挙制度改革、政党助成金制度、閣僚の資産公開の拡大などが行われました。

 さらに公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪となった公職政治家は、執行猶予判決であっても公職を失うという厳しい規定が設けられました。

 また、リクルートはご存知の通り、現在も「リクナビ」「SUUMO」「ゼクシィ」など人気サービスを提供する大手企業として生き延びています。2014年には持株会社のリクルートHDが東証一部上場するなど、もはや負の遺産は過去のものとなりました。

 しかし、果たして平成が終わる今日にまで、この教訓は生かされているのでしょうか。

 平成の初めに結末を迎えたこの大スキャンダル。2度とこのようなことが起きないためにも、次の世にも風化させずに語り継いでいく必要がある事件となりました。

<テキスト/串守シャモ>

なんでも屋さんのライター。ビジネス系の記事から、音楽・アニメ・マンガなどについて幅広く執筆しています。都内の焼き鳥屋によく出没。

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