ミニシアター文化は終焉を迎えるのか?岩波ホールは7月に閉館
世界中の名画を発掘、公開してきた岩波ホールが2022年7月29日に閉館します。岩波ホールは、派手で分かりやすいハリウッド大作ではなく、詩的かつ難解な映画でも観客を集められること実証してミニシアターブームを牽引しました。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大による急激な経営環境の変化を受け、運営が困難になりました。岩波ホールの閉館は、ミニシアター存続の危機を象徴する出来事です。
徐々に安定した収入を得られるように
1970年以降、国内の映画産業はハリウッド大作などに莫大な宣伝費をかけて拡大ロードショーをし、収益を最短かつ最大化させることで儲けを出してきました。一方、ミニシアターは国内外の個性的な作品を映画祭などで発掘。宣伝費を抑えて長期間上映し、配給収入を得てきました。
1980年代からはレンタルビデオ文化が根付き、ミニシアター系作品は副次的な収入を得ることで安定した収益が得られるようになります。このころ、『エル・スール』や『パリ、テキサス』『バグダッド・カフェ』など一般の映画ファンにも受け入れられる優れた作品が次々と誕生し、ミニシアター文化が花開きます。
岩波ホールは、1968年に岩波書店社長の実業家、岩波雄二郎氏が自費で設立した多目的ホールでした。総支配人は岩波氏の義妹である高野悦子氏。高野氏は映画監督を目指してパリの高等映画学院監督科で学んだ根っからの映画人でした。日本の映画文化が欧米に比べて劣っていると感じていた高野氏は、岩波ホールを質の高い作品を上映する映画館とすることを決意します。
他とは一線を画していた岩波ホール
1974年にエキプ・ド・シネマ運動を開始しました。エキプ・ド・シネマとは、大手興行会社が取り上げない名作や、アジア・アフリカ・中南米など欧米以外の名作を紹介することなどを目的とした映画運動です。エキプ・ド・シネマ第1回上映作品がインドのサタジット・レイ監督『大樹のうた』でした。
岩波ホールは映画館というよりも文化の発信拠点であり、映画運動への賛同者を集める特異なスタイルで他のミニシアターとは一線を画していました。
その後も旧ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督『惑星ソラリス』、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督『旅芸人の記録』、スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督『ファニーとアレクサンデル』など、商業ベースに乗りにくい難解かつ詩的な作品を次々と上映しました。